2011 Fiscal Year Annual Research Report
日本の近代・洋風彫刻の受容についての考察-工部美術学校彫刻学科卒業生の足跡から
Project/Area Number |
22820023
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Research Institution | Tokyo National University of Fine Arts and Music |
Principal Investigator |
吉田 朝子 東京芸術大学, 大学美術館, 研究員 (50589497)
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Keywords | 日本近代 / 美術史 / 彫刻 / 工部美術学校 / ヴィンチェンツォ・ラグーザ / 洋風彫刻 / 塑造 / 美術教育 |
Research Abstract |
工部美術学校は日本で最初に設置された官立の美術学校である。明治9(1876)年11月に開校してから明治16年1月に閉校する6年2ヶ月の問に彫刻学科生徒46名が在籍し、彫刻学科指導教官としてヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841-1927)がイタリアから招聘された。この彫刻学科の生徒は洋風彫刻の担い手の第一世代として生きたものの、彼らの活動についてはほとんど顧みられることがなかった。今研究は彼らの活動を明確にすることにより、高村光雲(1852-1934)らによる伝統的木彫の発展と荻原守衛(1879-1910)らによるロダニズムに続く流れでのみで語られている日本近代彫刻史の再検証を促すものである。 そのための手段として、今研究ではご遺族からの聞き取り調査を用いて彼らの足跡を再現することを行った。聞き取り調査を重視する理由は、メディアへの露出が極端に少なかった彼らに残された資料は少なく、ご遺族に伝承する記憶が重要な意味を為すからである。調査対象には、工部美術学校の彫刻学科の卒業生のうち遺族の所在が確かな、大熊氏廣、藤田文蔵、佐野昭、菊地鋳太郎、堀通名、寺内信一の6作家を選んだ。 調査の結果判明したことは、彼らのいずれも石膏による複製技術をもって社会に貢献していることである。しかも活躍の場は美術の分野ではない、窯業、建築、医療器具製造、模型販売など主に工業系の分野であった。美術作品の制作を生活の主体にしたのは大熊氏廣のみであったのは注目に値する。これにより工部美術学校は純粋美術の教授を目的にした学校というよりもむしろ、工業系への人員輩出のための学校であったことが具体的な事実をもって明瞭になった。さらに卒業生らの活躍は、石膏型取りという近代工業に欠かせない複製制作技術の伝道に少なからず寄与するところが大きかった。すなわち工部美術学校はインダストリアルアートの教育の先駆け的な存在であったということができる。
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