2011 Fiscal Year Annual Research Report
日本帝国崩壊後の樺太植民地社会の変容解体過程の研究
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22820035
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
中山 大将 京都大学, 文学研究科, 研究員 (00582834)
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Keywords | 樺太 / サハリン / 植民地 / 人口移動 / 日本人 / 朝鮮人 |
Research Abstract |
本研究では、日本帝国崩壊後の樺太植民地社会の変容解体過程について以下の点を明らかにした。 戦後期における大量の人口移動(疎開、脱出、密航・再密航、送還、引揚、進駐、移住)とソ連による統治機構の再編により、政治・人口的マジョリティが日本人からソ連人移住者へと変わり、サハリン島の樺太移民社会はほぼ解体されてしまう。しかし、日本人引揚者の一部は、かつての官民の要人・有力者を核に移動後の本国において再結集し引揚者団体を設立し、引揚援護や領土回復などの運動を展開する。樺太移民社会が運動体へと変容したのである。けれども時間の経過とともに、運動の実現性と意義とが希薄となると同時に、回想記、同郷会、同窓会などを通じ、樺太移民社会は「記憶」の共同体としての側面を強めている。 サハリン島への残留を強いられた韓人は冷戦期において、ソ連化の道をたどりつつも、戦後移住してきた高麗人や北朝鮮人とともに「サハリン朝鮮人社会」なる実態を築くことはなかった。むしろ、ソ連化の過程で独特の韓人アイデンティティが形成され、韓人移民社会は変容して潜在化する。それが公然と顕在化するのが、ポスト冷戦期の韓人団体の設立と韓国への接近、そして「帰国」運動である。 残留日本人の場合、数の僅少さと地理的分散、さらに妻という立場での韓人社会への埋没により移民社会は解体し尽くされたと言ってよい。しかしながらポスト冷戦期には、エスニシティを再生し日本人団体を設立し、「帰国」運動を実現して行く。 以上の研究成果は、学会誌論文「樺太移民社会の解体と変容-戦後サハリンをめぐる移動と運動から-」(『移民研究年報』第18号、2012年3月)として公表した。
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Research Products
(6 results)