2022 Fiscal Year Research-status Report
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22K00027
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
高山 守 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 名誉教授 (20121460)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | 手話言語 / 視覚言語 / 画像思考 / 直観と概念 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は、日本手話学会の研究発表大会において、<手話言語における「心」>というテーマで、研究発表を行なった。その趣旨は、日本語で言う「心」という言葉が、手話言語においては、どのように表現されるのかを明らかにすることである。まずは、いくつかの手話辞典によるならば、「心」は二つの身体部位を指示することによって表現される。一つは「腹」であり、もう一つは「胸」である。たとえば、「心構え」においては、まず腹を指さし、「心変わり」の場合は、まず胸の前で円を描き、胸を指示する等々。しかし、私たちの研究グループで議論されたことは、こうした手話表現は、補助的な表現形態であり、場合によっては、聴者が意識され、いわゆるコードスイッチングがなされたうえでの表現なのではないかということである。では、そのような「心」に関わる手話言語固有の表現形態とは、いかなるものなのか。それは、「心構え」や「心変わり」について、そのつどの具体的な内容を表現するというものである。たとえば、彼に会うとすれば、それなりの心構えが必要だということであれば、実際に必要なことを具体的に表現する。その必要なものが「心構え」そのものなのである。このように見るならば、手話言語固有の表現においては、日本語で言う「心」なるものは、実は存在しないのではないかということにもなりうるのである。これが、当発表の趣旨だが、それはまた、手話言語の重要な特性を提示してもいる。それは、言語表現は一般に概念的な普遍性に基づいてなされるわけだが、手話言語においては、そこに強い個別的な性格が投影するということである。その性格は、手話言語の根底にある画像思考において際立つ。そして、このことが、私の目下の主要研究テーマである、マクダウェルのヘーゲル論において、重要な意味をもちうる。すなわち、私たちの行為の根拠づけは、内からの個別的判断によるということである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
マクダウェルのヘーゲル論は、自ら「異端的」と称するように、非常に独特である。すなわち、ヘーゲルの『精神現象学』の論議の内容が、総じて一個同一の自己意識内の出来事の叙述であると解釈される。それによれば、二人(二つの自己意識)の「生死をかけた闘争」なども実は寓意的な論述であり、その真意は、一個の自己意識内での確執の論議である。つまり、その闘争とは、疎外された意識が、全面的に自己自身を回復しようとする自己内闘争なのだという。さらに、そうした闘争をも含めて、総じて私たちの行為は、社会的な規範という点では、まったく無根拠であるという状態で遂行されざるをえない、とマクダウェルは論じる。それによれば、私たちがいかに行為するべきかを決定する際には、一般的に通用している社会規範を根拠にすることはできない。私たちは、その際にも、ひたすら私たち自身の内部で、内的に決定しなければならないという。ここでマクダウェルが提示する重要概念が「有徳な人という概念」であるわけだが、こうした論議によって、マクダウェルが説くのは、私たちが遂行するべき正しい行為とは、一般的な仕方で成文化することはできないということである。私たち聴者は、いかに行為すべきかを考える際に、音声言語で、つまり、概念的な普遍性のもとで思考する。それゆえに、その思考は、一般的な成文化を求めることになりがちである。これに対して、ろう者の遂行する手話言語およびその根底にある画像思考においては、その時々の個別的な状況がそのまま思考内容を構成する。つまり、ここにおいては、一般的な成文化が行なわれることなしに、正しい行為が遂行されうるのである。これはマクダウェルの主張する行為の価値の実在論についての身近な具体化であると見ることができると思われる。こうした手話言語のもちうる哲学的な意味の論議が、ほぼ計画通り、本研究の目下の核心となっている。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究の推進計画としては、次の二点の遂行を目論んでいる。 1.哲学的観点からの研究の遂行。手話言語の根底に存すると見うる画像思考とは、基本的に、視覚的に受容された画像情報をそのまま思考内容とし、この思考内容に基づいて多様な思考を展開するというものだが、この思考は、音声言語による思考とは異なる特殊な特性をもつ。それは、音声言語による思考が普遍的な概念によって展開されるのに対して、この思考は、個別的な画像情報によって遂行されるということである。これは、言語哲学の分野にこれまでにない観点を提供しうると思われる。とりあえずは、マクダウェルの直観・概念二元論の論議を追うこととするが、順次広く言語哲学の分野に論議を拡張していきたい。 2.手話言語の観点からの研究の遂行。手話言語の根底には画像思考が存している。それは、直接受容した視覚情報がそのまま思考内容を構成するので、そのつどのさまざまな個別的な状況がそのまま思考内容となることになり、そこに展開される思考は、実に生き生きとしたものとなる。それはしばしば手話ポエムとよばれるが、そのポエムとは、何か特別な語りが行なわれたということでは必ずしもなく、むしろその思考がそれ自体ポエムであるなどとも言いうるのである。こうした生き生きとした特有の思考形態が、哲学の領域にこれまでにない新たな観点を導入しうると思われるわけだが、この特徴的な手話ポエム的日常表現を、できるだけ多く収集し、この言語の特有性を明瞭に提示したい。
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Causes of Carryover |
コロナ禍の影響で諸学会の開催および本研究関連の集会の開催が、オンライン形式となり、学会への参加旅費および関連集会への招聘旅費等が使用されないこととなった。それゆえに、主として旅費用の使用額が次年度に繰り越されることとなった。この繰越額については、コロナ禍が収束に向かいつつあるなか、学会参加旅費および招聘旅費として使用するとともに、手話言語に関する情報収集のための費用として使用することとする。
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