2022 Fiscal Year Research-status Report
In what sense was the Russian Empire an autocratic state?
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22K00959
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
吉田 浩 岡山大学, 社会文化科学学域, 准教授 (70250397)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | ロシア / 農奴解放 / 専制 / 政策実現過程 |
Outline of Annual Research Achievements |
ロシア帝国がいかなる意味で専制国家であるかという問いをたて、本年度はアレクサンドル2世(1855-1881)が農奴解放を決断する過程について考察した。用いた史料は農奴解放に関する公的資料のほか皇帝の日記や手紙、農奴解放に直接たずさわった官僚の回想である。 その結果明らかになったのは、以下のことである。将来的な課題として皇帝が農奴解放に言及した演説(1856)をうけて内務次官リョーフシンが内務大臣ランスコイを通じて皇帝の真意を尋ね、ロシアにおける過去の農奴解放に関する資料を作成するなど下準備をおこなった。また、同年の戴冠式の際に地方貴族たちに農奴解放への意向を尋ねると、土地台帳改革をおこなっていた北西諸県総督ナズィモフを除き、解放を考える貴族はいなかった。また、国家評議会議長をはじめとする政府高官にも農奴解放に前向きな者はいなかった。その後ランスコイやリョーフシンと皇帝のやりとりがあり、可能な解放の形態は人格の自由は認めるが、貴族の土地所有権を侵犯しないものであった。解放実施の時期についてはゆっくりと、可能な地域からおこなうというものであった。解放の実施が加速されたのは1857年終わりからであり、裏にはランスコイとリョーフシンのヘゲモニー争いがあった。特にランスコイが解放の準備過程を公開すると決めたことが決定的であった。 ここからわかるのは、皇帝は農奴解放をおこなう希望を漠然ともっていたが急ぐものではなく、解放の形態についても確固とした案をもっていたわけではなかったが、皇帝の意向を忖度した大臣や政府高官が実務をおこなう過程で状況的変化がおこり、早期の解放が実現したことである。さらに解放準備の過程で皇帝は世論への配慮をたびたび指示しており、専制君主といえども恣意的な政治をおこなえなかったことが明らかになった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
申請時には、近い将来にコロナが収束し、ロシアでの資料収集が可能になることを前提として研究計画をたてたが、課題採択時にはウクライナ戦争が勃発することでロシアへの渡航が不可能となり、もともとの研究計画を実現するために不可欠な未公刊資料の収集ができなかったため本年度は公刊できる論文を完成することができなかった。しかし渡航ができるようになる可能性が全くないわけではないので次年度、最終年度にロシア出張をおこなうための費用を残すため、初年度は研究経費の使用を(間接経費をのぞき)極力控えた。また、主に公刊資料に基づく論文を準備しており、今年度には完成できる見込みである。
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Strategy for Future Research Activity |
ウクライナ戦争が停戦などにより突然休止する可能性はあるので、未公刊資料の収集と分析による本来の研究計画の遂行(農奴解放を含む「大改革」を構成する地方自治改革や司法改革における皇帝権力の行使の実態解明)がいつでもできるよう、公刊資料や、研究課題採択以前に収集済みの未公刊資料に基づいてロシア帝国の専制国家としての特質を解明することを2年目である今年度の課題として研究作業としておこなう。 最終年度にもロシア出張ができない可能性が高まった時にはアメリカに出張し、コロンビア大学が所蔵しているニコライ・ミリューティン資料他を用いる。ニコライ・ミリューティンは農奴解放準備期の内務次官事務取扱であり農奴解放例令の完成を実質的に主導した官僚であるとともに、地方自治改革法案の起草者であるため、分析対象の改革をこの二つに絞ることで皇帝の権力行使の実態を明らかにし、ロシア帝国はどのような意味で専制国家であったかという課題にこたえたいと思う。
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Causes of Carryover |
ウクライナ戦争が勃発したため資料収集のためのロシア出張が不可能となり、初年度には経費をほとんど使用しなかった。しかし戦争が終わる可能性は常にあるため、初年度に使用できなかった経費は次年度以降にロシア出張をおこなうための経費として使用する予定であり、さらに最終年度にもロシア出張ができない場合には、研究計画を一部変更してアメリカ出張をおこなう予定である。
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Research Products
(1 results)