2023 Fiscal Year Research-status Report
Political and legal significance of forming Vatican and Japan diplomatic relations in 1942
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22K01360
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Research Institution | Nihon University |
Principal Investigator |
松本 佐保 日本大学, 国際関係学部, 教授 (40326161)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | バチカン / 日本 / 教皇 / 天皇 / 公式外交関係 |
Outline of Annual Research Achievements |
バチカンと日本の外交関係の近代から現代の歴史研究において、日本側の事情を解明するために日本国内では日本外交史の文献を入手し精読する作業をまず行った。近代以降のこの二国間の交流史はキリスト教が解禁された明治6年の1873年以降に開始され、ミッションスクール等、キリスト教系学校の設立は、日本の西欧化と共にバチカンを初めとする欧米諸国との関係や、これらを担う人材育成において重要であったからだ。バチカンと直接かかわるカトリック系で男子は暁星学院、女子は聖心女子などの設立があげられる。特にこの暁星学院に学んだ山本信次郎の存在は、後に日本とバチカンの国交樹立で重要な役割を果たす。後に昭和天皇となる裕仁皇太子が、欧州への外遊期間にローマ教皇との謁見を果たすが、これは山本信次郎の功績であった。第一次大戦期を経て戦間期の1920年代、両国の公式な外交関係の樹立(双方の外交官の交換が必要)の可能性が議論される。バチカン側はすでに1919年ビオンディ大司教を日本にバチカン使節として派遣していたが、日本からバチカンへの外交官の派遣には予算が必要で、仏教界や神道会の圧力を受けた議員達がこの予算に反対し実現しなかった。その後1942年国交樹立に至る外交関係は、3月に調査したバチカン使徒文書館で入手した史料によって、バチカン使節マレラ司教とバチカン国務省のやり取り文書で確認した。 また夏休み期間の8月には英国のカンタベリー大司教の文書があるランバス宮殿所蔵の英国国教会の史料、また英国公文書館所蔵のバチカンと日本の外交関係の史料を調査し、バチカンと公式な外交関係がなかった英国が、バチカン日本関係をどう見いていたを確認することが出来た。またスイスのジュネーブにある「世界教会協議会」文書館でもバチカンと英国国教会やプロテスタント教会との関係が明らかになった。これら調査のため海外出張費が予算から執行された。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究実績の概要で述べた様にほぼ当初の研究計画通りに調査は進んでいるものの、バチカン使徒文書館での調査には多くの制約がある。バチカン使徒文書館へのアクセス権は、全ての研究者に開かれているわけではなく、長年のバチカン研究の実績があること、またバチカン研究に従事するカトリック聖職者の紹介状などの条件がある。これらの条件をクリアしてアクセス権を得ているものの、バチカン使徒文書館は夏の期間7月15日~9月15日は閉館し、土日祝も開いていない。一日に閲覧可能なファイル数は3点のみで、開館時間は8時半~13時半まで(2024年4月現在の状況で開館時間はバチカンの事情で適宜変更される)で、さらに文書館内での史料調査での史料の撮影は厳しく禁止され、また基本的にコピーも出来ない。手書きやノートパソコンでの打ち込みのみが認められている。さらにバチカン内にはもう一つ、バチカン国務省文書館が存在し、外交関係の史料はこちらにあるものもあるが、こちらの文書館の開館時間は、すでに述べたバチカン使徒文書館よりさらに短く、9時~13時で開館時間が重複していることも、調査を効率よくすすめられられない理由である。こうした事情から研究速度を上げることは実質上困難である。大学に専任教員として勤務していることから、基本的に夏休みと春休みの時期しか海外調査は行えず、さらにバチカンは夏の期間は閉館している。今後の研究調査において、こうした状況を鑑み、場合によっては来年度以降、現地のリサーチアシスタントの雇用も想定される。日本側の調査については、こうした困難はなくスムーズに調査が進行している。日本外交史研究や天皇制研究の研究者との交流や研究会への出席なので、活発な研究活動に従事している。 この様な困難なバチカン使徒文書館での調査上の困難があるにもかかわらず、概ね順調に進展している。
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Strategy for Future Research Activity |
研究実績の概要と現在までの進捗状況で述べた様に、今後のバチカン使徒文書館での調査に関しては現地のリサーチアシスタントを雇うことで、より効率良く研究をすすめることを今後の研究推進方策としてあげておく。バチカン使徒文書館とバチカン国務省文書館は長年第二次世界大戦中とそれ以降の史料を閉じていたが、約2年半前に第二次世界大戦開始から1958年までの史料公開に踏み切った。その事情については、バチカンが戦中にナチスドイツと同盟関係を持ったことで、バチカンがユダヤ人大量虐殺のホロコーストを黙認したのではないかという疑惑と論争があり、以前はこうした史料の公開について躊躇があった。しかし現教皇フランシスコの英断により、こうした不都合な歴史を含む過去を明らかにすることがむしろ重要であるという見方が表明されたのである。これら史料は時代順で区切っていることから、バチカンとドイツだけでなく、バチカンと日本の太平洋戦争中、そして日本の敗戦、連合国による日本の占領下時代、その後の冷戦の深化の時代の両国の関係のみならず、米国や欧州諸国、そして旧日本領であったアジア諸国との関係を含む膨大な史料が、一気に公開されたことでその分量は膨大である。そのためこれら膨大な史料を効率よく、そして本研究課題である1942年のバチカンと日本の公式な国交樹立に関わって、ここに焦点を当てつつ、広い視野をも忘れることなく今後の研究を推進していく。日本外交史についても、引き続きすでに述べた様な日本の研究者との交流だけだなく欧州や米国の隣接及び類似分野の研究者との交流も行う。すでに米国ではバチカンと日本関係史研究は、日本が太平洋戦争勃発以降敵国となったこともあり、大変高い関心があることから、業績については日本語だけでなく英語での論文執筆を予定している。
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Causes of Carryover |
バチカンと日本の国交樹立の政治的及び法的意義の研究調査及びインタビューのためにイギリスとスイスに海外出張したが、費用が予定よりおさえられた。 次年度はアメリカのワシントンへの調査、宗教系シンクタンクや米国カトリックのイエズス会の大学であるジョージタウン大学の教授2人に会い、本研究課題について研究アドバイスを受ける予定である。特に同大学のケビン・ドアク教授は、日本の最高裁判事でカトリック保守の論客となった田中耕太郎研究では知られていることから、ワシントンでの調査期間に会うことが予定されている。他にワシントン近郊のアメリカ・カトリック大学の教授2人とも研究打ち合わせの予定である。バチカンの国際的な中立性について、太平洋戦争中の1942年にバチカンと日本の間に国交が樹立したことで、バチカンの「国際的中立」はどの様に位置づけられるかを議論する予定である。 夏休み期間には欧州諸国をめぐり、戦中にバチカンとの関係が強硬であったポーランドやイタリア、また日本と同盟国でありバチカンと条約を締結していたドイツに調査に行く予定である。夏休み期間はバチカン本体が休暇中のため、バチカン内での調査は3月頃を予定している。国内でも政治学会での研究発表が内定しており、名古屋大学で学会が開催されるために国内旅費も支出予定である。以上のように調査では国外に、研究成果発表では主に国内への出張旅費支出予定である。
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