2022 Fiscal Year Research-status Report
戦後北海道における「総合開発」と地域の教育ー移住民による地域社会形成に着目してー
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22K02301
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Research Institution | Hokkaido University of Education |
Principal Investigator |
坂本 紀子 北海道教育大学, 教育学部, 教授 (40374748)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | 戦後開発 / 北海道開発計画 / 小学校設置 / 欠食児童生徒 |
Outline of Annual Research Achievements |
戦後、日本政府は国内の資源開発によって生産を増大し経済を充実することで国民生活の安定を期し、北海道総合開発計画を樹立した。その計画下において、戦後開拓者として北海道に移住した引揚者や戦災によって生産手段を失った人々等がどのように学校と関わったのかを明らかにすることが本年度の研究目的である。開発計画は1952年から61年までを期間とし、前期5か年を第一次計画として交通整備や食料増産等が主な課題とされた。教育は文化厚生計画の一部として取り上げられていたが、第一次計画では、ほとんど考慮されていなかった。しかし北海道の地には、多くの戦後開拓者が移住し、それに伴う児童数の増加、学校施設設置等の課題が深刻化していた。加えて、北海道は1953年から54年および56年の冷害等の災害におそわれ大凶作となり、施設設備のみならず児童の生存そのものが脅かされる状況にあったのである。 雄武町興和地域では移住民および学齢児童が増加したが学校が設置できず、近隣の小学校への遠距離通学が強いられていた。そのため人々は学校の設置を要望し、設置に当たっては「こぞって協力し合った」という。しかし、この地域に電灯が灯ったのは1955年のことだった。校長を中心に地域産業を畑作から酪農へ転換し暮らしの向上が図られていった。娯楽のなかった人々に教育委員会が巡回映画を提供していたことも着目される。湧別町では、1954年までに211戸の入植があったが、53年、54年、56年の冷災害により経済が逼迫して離農者が相次ぎ、欠食児童生徒が続出した。そのような状況に対して学校給食を実施することで対応していた。また、1957年頃に新生活運動を実施して生活の簡素化、自粛を行うことで克服しようとした。第一次計画下において、移住者は自らの力で学校を設置し学校と連携しながら暮らしの改善をはかっていったのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
対象地域として設定していた雄武町、湧別町への調査は、新型コロナの影響もあり断念せざるを得なかったが、断片的ではあるが資料の一部を入手することができたため。
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Strategy for Future Research Activity |
計画していた雄武町、湧別町図書館での資料調査とともに、北海道総合開発計画の後期5か年期を対象に、北見市、網走市、小清水町等を対象に地域と学校との関係性を分析する。
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Causes of Carryover |
新型コロナによって、調査相手方である小学校への訪問を断念せざるを得なかった。 また、北海道立図書館は開館していたが、北海道立文書館が新型コロナ対策として閉館していた時期があり、その時期と調査可能な時期が重なったため調査を断念しなければならなかった。 翌年度は、調査のための移動規制が幾分緩くなったため、今年度調査予定であった地域と今年度の地域とを併せて、道東地域への資料調査を実施する計画である。
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