2022 Fiscal Year Annual Research Report
Radioactive Decontamination in Fukushima and the Fabric of Collective Memory
Project/Area Number |
22F22764
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
ボレー セバスチャン 東北大学, 災害科学国際研究所, 准教授 (70751676)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
GAULENE MATHIEU 東北大学, 災害科学国際研究所, 外国人特別研究員
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Project Period (FY) |
2022-11-16 – 2024-03-31
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Keywords | 放射能 / 集合記憶 / 福島原子力発電所事故 / 災害科学 / 記号論文化人類学 / 飯舘村 / 東日本大震災津波 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、日本で開始された放射能除染作業が、レジリエンス政策を支持する文化的要因によって説明できるという仮説を検証することである。より正確には、この除染は、災害の集合的な記憶と、復興によって迅速に災害を克服する習慣のために決定されたという主な仮説である。さらに、この除染が、福島第一原子力発電所事故に対する認識や集合的な記憶を修正するのかどうかということも、もう一つの疑問である。 これらの仮説を検証するために、私は飯舘村の農業従事者のケースに注目した。まず、福島大学、東京電機大学、早稲田大学、名古屋大学、大阪大学、京都大学の福島原発事故について研究する社会学系の教授陣と連絡を取り、話をした。このような出会いの中で、私は仮説を練り直し、飯舘村の二人の農家の方を紹介された。一人目は飯舘村の南部に戻り、村内を案内してくれた後、自宅で震災後の生活についてじっくりと話し合ってくれた。もう一人は、震災後に三重県に引越し、すべてを再建した方で、この方とは二回会い、とても良い関係を築いた。 本研究は、集合的な記憶のどの部分が、彼らに逃亡を促したのか、留まって試練を乗り越えようとしたのか、そしてまだ会ったことのない第3のグループの場合は、留まって農地での除染実験に参加しようとしたのかを理解することから始まります。しかし、このような意思決定における集合的記憶の枠組みの役割という問いを超えて、今の私の研究は、これらの意思決定が引き起こす危機的出来事との時間的距離にも焦点を当てている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
飯舘村の二人の農家方(うち一人は現在三重県在住)のフィールドワークは順調に進んでいる。お二人との関係も良好で、今後もフィールドワークを続けていくことができそうである。しかし、農家の方と農学者のNPO法人「福島再生の会」の方とも会う予定だったが、まだ実現していない。なぜなら、彼らを知っている先生に会って、きちんと紹介してもらうのを待つことにしていたが、このNPOとは誰も連絡を取っていないようなのだ。そのような理由から、私は直接連絡を取る予定にしている。
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Strategy for Future Research Activity |
来年度は、農家の方との出会いが、本研究の方向性を変え、当初の仮説を練り直すことを余儀なくされた。震災後に福島を離れた農家の方にとって、集合的記憶の枠には、幼少期にキリスト教で育ったことに連なる宗教的要素が含まれている。ソドムとゴモラの滅亡を振り返ったロトの妻が塩の像になったという幼少期の記憶が、2011年3月15日に福島県を離れ、帰らないという決断をする一助になった。一方、もう一人の農家の方は、特定の集合的な記憶の枠組みを呼び起こすことはないが、除染を支持することに固執することはない。彼は、家族へのコミューンの再開を批判しながらも、家族を置いて一人で飯舘村に戻るという逆説的なゾーンにいる。
本研究は、このような個人の軌跡の理解を深めるために、災害時に行動を導くために、いくつかの集合的な記憶が動員される方法を説明することにある。この二つの軌跡を、除染を選択したNPO法人「福島創生の会」の農民と重ね合わせる。さらに、福島第一原子力発電所の事故後、「逃げる」「残ると戦う(除染政策を批判する)」「残ると共に生きる(除染を実践する)」という選択によって、彼らが感じる福島第一原発事故という出来事に対する時間的距離の違いにも興味を持つようになった。
そのためには、飯舘村や三重県に住む農家の方や、東京に住む「福島再生の会」の農学者の方とのフィールドワークを継続し、関西の難民問題に取り組む京東大の先生方との議論を継続しなければならないだろう。
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