2021 Fiscal Year Annual Research Report
アイロニーの成立に対し共同体の慣習はどう関わるのか?
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21J22225
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
木下 蒼一朗 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2021-04-28 – 2024-03-31
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Keywords | 嘘 / アイロニー / 存在前提 / 約束 / 言語行為 / ふり / コミュニケーション / 意図 |
Outline of Annual Research Achievements |
「研究の目的」「研究実施計画」に示した通り、本研究は人間のコミュニケーションにおける言語外的な意味の伝達を広く説明・予測しうる理論的枠組みの提出、およびその枠組みを用いた現代語の文法現象の分析を目的としている。その第一段階、すなわち理論的枠組みの体系化の段階と言える令和3年度にあって、本研究は、その準備期間からの主要な着眼点であった「嘘」「アイロニー」に加え、「存在前提の伝達」「約束」という2種類の言語行為の分析に着手した。ここで言う存在前提の伝達とは、例えば「日本の大統領」などといった(誤った)確定記述句に関して、それを使用することで私たちが「その確定記述句を用いることで指示される対象が実在する」という言外の意味を伝達する現象のことである。他方で約束行為とは、例えば「お皿洗っておくよ」と発話することでその話し手が皿を洗う義務を負うことになるといった類の言語行為のことである。一見すると無関係に思われるこの二つの言語行為に関して、本研究は令和3年度、「演ずる」という人間の心的態度、および本研究が重要視している「言語的慣習の運用に係るメタ的な慣習」という二つの概念に依拠することで統一的な説明を与えることができるという結論を得た。存在前提の伝達は当該言語の確定記述句を構成するための慣習ではなく、そこで生成された確定記述句の運用に係るメタ的な慣習に統御されている。こうしたメタ・レベルの慣習が成立する背景には「確定記述句の指示対象が存在すると信じている人物を演ずる」という心的態度が不可避的に関わっている。そしてこの態度は「pを約束する行為において、私たちがpの実現を主張する人物とpの実現を自身に命ずる人物の二役を同時に演ずることになる」という形で約束行為成立をも支えており、これらの言語行為が慣習化するために不可欠な要素となっている。以上がこれまで本研究の成果であり、実績概要にあたる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
申請段階において本研究が令和3年度の計画として挙げていたのは、アイロニーの分析と、上記の「存在前提の伝達」の分析のみであった。それゆえ、約束という言語行為にまでその射程を伸ばしたという点を考慮しただけでも、当初の計画よりも発展的な研究が遂行されていると判断するに十分な理由となる。こうした成果が得られた要因としては、言語哲学の分野で取り扱われることの多い「命題の結束性」をめぐる議論に目を通す機会を得られたことが大きい。たとえば「アリスは利口だ」と発話するとき、私たちはアリスという個体への指示と、利口であるという属性の表現を行うことになる。この事情は「アリスの利口さ」という名詞句を発話する場合でも変わらないが、前者が真理条件を持つ(命題を表現する)一方で、後者はそうではない。この事実への説明としては「使われている文法が異なるから」というものが直ちに思いつくが、これでは「では前者の文法が命題をもたらし後者がもたらさないのはなぜか」と再び問われることになり、説明を先送りにしたに過ぎない。この問題に対して、特にHanks(2015)は、「命題」なる存在者を想定することを拒否し、「「アリスが利口であるとき、そしてそのときに限り真である」という真理条件をもつと判断された個々の言語行為を抽象化して得られたタイプこそが、これまで「命題」と呼ばれてきたものの正体である」という立場をとる。この立場のもとでは主張・Yes/No疑問・命令はそれを満足する条件が異なるために別々のタイプに分類される。それゆえ約束が真理条件を持ち(約束を破ると嘘つきになる)かつ義務を発生させる(命令行為と共通)という特徴を持つからには、私たちは二つのタイプの言語行為を同時に遂行しなければ約束を遂行できない。本研究はこの点を指摘し、「一人二役を演ずる」という心的態度がこの遂行に関わるという分析を提出することで解決を試みた。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究はアイロニーによって伝達される言外の意味の研究をその出発点としていたが、それに用いた道具立ての一般性の高さから、上に示したような他の言語外的意味の分析に着手するという応用的な地点に到達している。このことは、分析に用いる理論をより洗練させるという結果をもたらし、かつ、他の言語外的意味とアイロニー的意味との異同を解明することにも繋がる「重要な寄り道」であると報告者は考えている。こうした寄り道の一環として本研究は、令和4年5月現在、小説・戯曲・演劇などを構成するテキスト(虚構的な談話)によってもたらされる前提や推意(implicarture)をめぐる論考を投稿し、査読を受けている状態にある。虚構的な談話には、作者がそれを発話する際に「その物語の語り手」を演じているという点で演技性が含まれており、これはアイロニーが話し手による演技によってこそ成立するということと並行的である。しかし虚構的な談話がすべて言外の意味を持つわけではなく、このことはアイロニーが(抽象的にであれ)必ず言外の意味を持つことと対照的である。では「言外の意味をもつ虚構的談話」はアイロニーとどう違うのだろうか? この問いに答えることは、本研究が「アイロニー」という言語行為を他の言語行為の中に正確に位置付ける上で避けることはできない。虚構が持つ言外の意味は大別して、当のテキストが描写しているところのフィクション世界において成り立つもの(虚構内の会話の含意)と、当のテキストが出版されているところの現実世界において成り立つもの(寓意)とがある。この二つは言うまでもなく話し手の意図・態度のあり方に従って区別されるが、本研究の見立てが正しければ、聞き手側の態度のあり方もまた決定的に重要であり、その点がアイロニーと虚構的な言外の意味とを分けることになると結論される。本研究は今後こうした航路をとって発展していく見込みである。
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Research Products
(3 results)