2022 Fiscal Year Annual Research Report
Music and Realism in the 20th Century: Defining the Musical Language of Neue Sachlichkeit
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21J21430
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Institution | Tokyo National University of Fine Arts and Music |
Principal Investigator |
千葉 豊 東京藝術大学, 音楽研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2021-04-28 – 2024-03-31
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Keywords | 音楽とテクノロジー / 自動楽器 / 蓄音機 / ラジオ / 作品概念 / 聴取の様態 / サウンドスケープ |
Outline of Annual Research Achievements |
本課題の基盤的テーマである「新即物主義」という局所的な視点から、音楽の現実性や大衆性への意識が共有された戦間期の社会・技術的要因へと焦点を拡大し、論文執筆及び学会等での研究発表を行なった。特に「音楽の機械化」という枠組みで括られ得る1925年以降の独語圏を中心とする音楽雑誌上の議論を検証対象とした。その際、自動楽器の使用による生身の演奏者の排除という究極的な形での音楽の「客観化(=機械化)」を端緒の一つとする、蓄音機やラジオ等の音響メディアの急速な普及が音楽芸術に及ぼした価値転換について、創作/聴取美学の両観点からいかに論じられていたかを整理した。音楽の「真正性」や「作者性」が戦間期にいかなる変化を被ったかという問題をアクチュアルなものとして捉える上で、科学技術社会論をはじめとするメディア研究の方法論が有効となった。戦間期の音楽評論の場では、軽音楽が促した新たな趣味や音響技術的要件に適応し得る音楽語法の見直し、聴取の様態の時間・空間的な変化による作品概念の現代化が様々なレベルで問題化されていたことが判明した。作曲家と批評家の双方の立場から追究された音楽とテクノロジーの理想的結合が、客観性や実用性、実質性に対する価値の高まりを喚起し、同時代の音楽が時代精神としての新即物主義を具現化するに至ったと考えられる。 また、戦間期に共有されていた「機械的なモノ」への想像力を検証するため、音楽の機械技術的な再生産が新即物主義の解釈と評価に寄与した過程を明確化し、そのリズム的特徴に着目した。聴取の様態が、特定の時代と地域に根ざしたサウンドスケープによって形成されるという考え方に依拠した上で、大量生産技術を擁する巨大工場での労働環境、交通機関の発展による生活圏の拡大と日常的騒音等の社会・技術的状況が、その中で共有されたリズムと象徴の連合を通じて「機械的なモノ」への聴取の開かれを促したと言える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
戦間期の音楽評論や文化批評を対象とする調査に関しては、当初の計画に沿って『音楽』(1901-1943)や『アンブルッフ』(1919-1937)、『アウフタクト』(1920-1938)、『メロス』(1920-1934)等の記事を幅広く検証し、同時代の作曲家と批評家らが音響再生産技術を批判的に捉えながら、音楽文化全体にとってのその利用価値をいかに見出そうとしていたかを多角的な視点から考究した。また、ベンヤミンとアドルノによる戦間期の文化批評を再度取り上げ、機械的複製技術によってもたらされた視覚・聴覚上の客観性への偏重を西洋芸術史という俯瞰的枠組みから捉え直すことができた。音楽から絵画や写真、映画領域に至るまでの第一次大戦後の広範な芸術創作とその受容美学が、理念と実践の両方の意味で新即物主義と称され得る歴史的段階へと展開したと解釈できる背景には、機械化された戦争を経て、機械化された社会生活を享受し始めた戦間期の人々を取り巻く物質的環境により形成された精神的基盤があるということを、音楽分野の言説だけでなく、同時代の哲学的思索に依拠しながら論理的に描き出すための方向性を具体化できた。 自動楽器および同時代の伝統楽器のための音楽作品の比較分析に関しては、現段階では特定の楽曲を分析するというよりも、上述した音楽批評等において創作様式の全体的傾向がどのように評価されていたかを整理している状況である。とりわけ、自動楽器と蓄音機以上に、ラジオを契機として当時の音楽家が被った技術的要件や創作・演奏環境の変化は注目に値し、1920年代後半から盛んに論じられ始めた「ラジオ音楽」の理想を巡る作曲家と批評家の多様な解釈を把握することで、今後個別の楽曲分析に取り組む際に核となる視点が得られた。つまり、これらの音響メディアの特性に適応した音楽創作の在り方の探求が、新即物主義的音楽語法を形成したと考えられる。
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Strategy for Future Research Activity |
音響メディアによる音楽の再生産、複製、散布が、戦間期に従来あり得なかった「現代的な」サウンドスケープを形作ったのだとすれば、その結果発生した聴取の様態を検証する必要性があるだろう。すなわち、当時の人々がいかに聴取したかを問うことは、当時の人々が(演奏技術、録音環境、再生装置の機能等のあらゆる面で)いかに「音楽し」ていたかを問うことであり、そうした問いは、音楽の作り手と受け手の間にある観念的かつ技術的な構築物としての「作品」を理解することに寄与する。 従って、今後は戦間期の機械技術による音楽創作とその受容の現代化の過程を、音楽の再生産―生産―聴取という三段階から検証し、引き続き調査対象とする言説資料の範囲を拡大しつつ、具体的な音楽創作の事例を扱う予定である。先述した音楽雑誌上で、蓄音機やラジオでの音楽再生産に創作様式を適応させる戦略や、それが孕む問題点に言及した評論が数多く残されている。いつの時点の音響メディアのどのような技術レベルにおいて、再生産される音質やそれに順応し得る適切な音楽語法、ジャンルの問題が考慮されていたのか検証することで、当時のメディアの技術的限界との折衷の過程で獲得された音楽的特徴や題材選択の傾向を見出すことができるだろう。この際、F・シュレーカー《室内管弦楽のための小組曲》(1929)やE・トッホ《色とりどりの組曲》(1928)を始めとするラジオ局から放送用に委嘱された楽曲の分析を行い、作曲家らがラジオというメディアに自らの語法をいかに適応させたかを推論する。 以上の観点から音楽という芸術形態に対する戦間期(=音響メディア時代黎明期)の価値観のせめぎ合いを精緻化することで、音楽語法のレベルに限定されない広義の「新即物主義的な」音楽の在り方が、今日の社会における音楽的リアリズムをいかに表象しているかについて、新たな知見がもたらされるだろう。
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Research Products
(2 results)