2014 Fiscal Year Annual Research Report
メロヴィング王朝期国家構造の総合的研究ー西洋古代から中世への移行新論ー
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23320158
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
佐藤 彰一 名古屋大学, 高等研究院, 名誉教授 (80131126)
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Project Period (FY) |
2011-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | フランク族の起源 / エルベ川河口地帯 / ライン川河口地帯 / ユリアヌス帝 / Franci ipsi / Franci Rhenensi / サル / サリー |
Outline of Annual Research Achievements |
メロヴィング王朝を開いたフランク族の初期史に関しては、未だ未解明の部分が多く、世界の多くの専門家が、新説を競い合っている。こうしたなか西暦200年代に入ってから、H・グラーン=ヘックとM・シュプリンガーが、目覚ましい新説を提示している。そこで今年は両者の関連する主要な業績を、同じ史料を用いて検証する作業を行った。 その結果、もともとフランク族には2集団があり、1つはタキトゥスが『ゲルマーニア』で描写した、古い部族のシャマーヴィ、シャットゥアリアその他などで、かれらは「フランク族」という新しいエトノスに合流した後も、古い部族名を使用し続けていた。もう1つの集団は「Franci ipsi」と形容される人々であり、かれらは古いアイデンティティを完全に払拭して、自らを完全に「フランク」のエトノスに一体化させている固有のフランク族民である。かれらはエルベ川、ウェザー川、エムス川の河口地帯に居住し、船を操り、海運や海賊活動を生業としていた者たちであった。この「Franci ipsi」集団は、3世紀後半ころにライン川の河口に移動し、この地のバタヴィア島に定住したが、別のゲルマン人集団によりこの地を逐われ、皇帝ユリアヌス帝の時代に、ローマ領土内のトクサンドリア(現在のベルギー東北端)に、ローマへの帰順民として定着した。彼らはこの土地で、大ホール型の家屋に複数家族が共同で居住する形態をとり、こうした家屋を「サルSal」と称したところから、サリー・フランク族と呼ばれた。 他方、シャマーヴィその他のいわば2重のアイデンティティを有するグループは、ライン川中流域を拠点としたところから、「ライン・フランクFranci Rhenensi」人と称された。シュプリンガーの研究は、このヘックの研究が相対化しながらも維持した、フランク族の2分性をより根底的に否定する内容であるが、より綿密な検証が必要である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本課題は「メロヴィング王朝期国家構造」の総体的研究であるが、この国家の内実をなすフランク族の部族としての生成過程を理解することは、この国家の性格を規定するうえで、極めて重要であることは論を俟たない。いわゆるゲルマン部族と形容されるゴート族やランゴバルト族には、古典文学史において「オリゴ・ゲンティスOrigo gentis」と呼ばれる「部族生成の歴史」を記述した文学ジャンルが存在しているが、歴史的に最有力とも言える「フランク族」には、その種の記述が存在しない。このためにこの部族が国家形成を果す6世紀初めまでの歴史は、著しく探索が困難である。それが近代歴史学が誕生してから3世紀にもなんなんとする研究史の蓄積にもかかわらず、メロヴィング国家史の全体的かつ説得的な構造把握が達成されていない、大きな要因である。 申請者はこれまでの検討により、メロヴィング国家そのものについて、以下の5点をその構造的特徴として剔出している。すなわち1)部分王国体制、2)王家の婚姻戦略、3)分節的徴税システム、4)教会・国家の共生構造、5)王権の性格(役人王権)がそれである。こうした特徴が見て取れるのは、建国者クローヴィスの時代から751年のメロヴィング王統終焉の時期までである。こうした構造的性格が、いかなる要因が作用してなったものか、またフランク族のエトノス生成がそこにどのように作用したかを探究するためには、闇に閉ざされたフランク人の部族としての起源についての有効な仮説を構築する作業が必須となる。 この作業が有効に遂行されるならば、世界で初めてメロヴィング国家の構造的全体把握が達成される。
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Strategy for Future Research Activity |
西暦2000年を過ぎた頃から、欧米の学界では啓蒙時代から18、9世紀に構築された人文科学の古典的な概念を批判的に検討しようとする動きが顕著になって来ている。本申請課題に直接、間接に関わる事柄としても、例えば「ゲルマン人」という通称は「ゲルマン語」を使用言語とする人々の意味であるが、彼らが用いたのが「ゲルマン語」であったのかについての疑問が提示されているし、そもそも「インド=ヨーロッパ語族」という比較言語学の根底をなす理論について、これと対応する、すなわち「原インド=ヨーロッパ語」の担い手の実在について、先史考古学者で言語学者のパリ大学教授ジャン=ポール・ドゥムールは2014年に『だがインドヨーロッパ語族はどこへ消えたかー西洋の起源神話』を著し、長らく信じられてきた通念に根本的な批判を加えている。こうした学界の動向は必然的に、エトノス性の1要素である言語の問題、呼称の問題にも関わって来ざるを得ない。今後の作業はフランク族初期史に関連する民族、言語、エトノス呼称などに留意しながら、先に述べたグラーン=ヘックとシュプリンガーの所説を、史料に即して検証しながら、近年これまた進展の著しい考古学研究にも注目しながら、メロヴィング国家の構造的5特徴に肉付けをしながら、本申請課題を完了するつもりである。
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Research Products
(8 results)