2013 Fiscal Year Annual Research Report
ヴォルフ主義哲学との関係から見たカントのヴィルキューアの自由をめぐる総括的研究
Project/Area Number |
23520013
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
檜垣 良成 筑波大学, 人文社会系, 准教授 (10289283)
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Keywords | カント / ヴォルフ主義哲学 / バウムガルテン / ヴィルキューア / 自由 |
Research Abstract |
まず、前年度までの研究で明らかとなったバウムガルテンにおける自由の三層構造、すなわち、自発性の自由、ヴィルキューアそのものがもつ自由、自由なヴィルキューアの自由の区別を踏まえて、『純粋理性の批判』から晩年の『道徳形而上学』に至るまでのカントの自由概念を精査し直し、従来、意志とヴィルキューアとの関係の問題とも相まって混乱が指摘されてきた自由の諸概念を整理しきった。 カントの有名な〈自律としての自由〉も、晩年のヴィルキューアの自由も、バウムガルテンの「自由なarbitrium」の概念を正確に継承しながら、純化させていったものにほかならず、〈感性的刺戟に依存しないこと〉ないしは〈理性によって規定されうること〉を徹底した帰結と理解せねばならない。 このような理解の際に持ち上がる伝統的な問題は、〈選択の自由〉なしには悪しき行為への帰責が不可能になるというものであるが、まず、従来、〈選択の自由〉を意味すると理解されがちであった『単なる理性の限界内における宗教』におけるヴィルキューアの自由も、〈格率による規定可能性〉では批判期には「自由」と言いえないという点を指摘することによって、やはり〈純粋理性による規定可能性〉と解するほかないことを確認した。 その上で、帰責可能性のためにカントは、確かにある種の〈選択の余地〉をintelligibelな次元に想定しているが、この余地のことを「自由」という能力として把握することを意識的に拒絶していたことを確認した。カントが「均衡無差別の自由」を前批判期以来、一貫して批判していることと、いわゆる「悪魔的自由」を否定していることとは軌を一にしており、「純粋実践理性の事実」に賭けたカントは、たとえintelligibelな意味での決定論を甘受することになろうとも、決して理性を損なう〈悪への自由〉を認めることはなかったのである。
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Research Products
(4 results)