2013 Fiscal Year Annual Research Report
海軍軍楽長・吉本光蔵日記の研究―20世紀初頭の日欧間における音楽情報交流
Project/Area Number |
23520158
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Research Institution | Tokyo National University of Fine Arts and Music |
Principal Investigator |
塚原 康子 東京藝術大学, 音楽学部, 教授 (60202181)
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Keywords | 海軍軍楽隊 / 近代日本音楽史 / 日露戦争 |
Research Abstract |
平成25年度は、ベルリンから帰国した吉本光蔵が、第二艦隊旗艦・出雲に乗り組み日露戦争に従軍した時期(明治37年1月~38年3月)の日記の講読と翻刻を中心に作業を進めた。その結果、以下の諸点が明らかになった。 日露戦争中の海軍では、第一艦隊~第四艦隊軍楽隊が編成され、それぞれ旗艦に乗り組んだ。軍楽隊員の病気・昇進などに伴う補充・交代は、官階や担当楽器を考慮しながら、横須賀海兵団を中心に呉・佐世保・舞鶴の各海兵団軍楽隊と連携して行われた。吉本は、従軍中に《旅順陥落行進曲》(明治37年8月)《浦塩沖氷海海戦》(明治38年3月)を作曲したのに加え、各海兵団在勤者に新楽譜の調達や郵送も依頼していた。第二艦隊軍楽隊は、定例の奏楽として、①大砲手入時の奏楽および司令長官室での夕奏楽(ほぼ毎日)、②石炭搭載時の奏楽(週1回程度)を日常的に行ったほか、外国艦や司令長官・将官等に対する敬礼奏楽、自艦・僚艦の兵員・家族会や入港時の居留民に対する慰問奏楽などを随時行った。また、特別な奏楽として、明治37年2月~3月の第一次・第二次旅順口閉塞作戦において、隊員の出発時に「決死隊ノ歌曲」、帰還時には歓迎奏楽、戦死者の葬送・追弔時には敬礼曲《命を捨てて》を奏し、明治37年8月14日の蔚山沖海戦では5時間以上に及ぶ激戦後に凱旋奏楽を行ったことが確認できた。このほか、出雲艦上では兵員により薩摩琵琶・筑前琵琶・尺八が演奏され、軍楽隊以外の身近な音楽も戦場に響いていたことがわかった。 以上の日露戦争従軍中の海軍軍楽隊の動静について、2013年11月の日本音楽学会全国大会で発表したが、次年度の大学紀要に論文として寄稿する予定である。
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Research Products
(1 results)