2013 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
23520232
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Research Institution | Yokohama City University |
Principal Investigator |
山田 俊治 横浜市立大学, 都市社会文化研究科, 教授 (10244485)
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Keywords | メディア史研究 |
Research Abstract |
本年度は、収集した「東京日日新聞」の創刊時からの全紙面を悉皆調査を継続、残念ながら福地源一郎の退社時までには至らなかったが、一八七七(明治十〇)年をメルクマールとして、文化関係の記事に変化がみられることが判明した。 演劇関係の記事は、第二号の紙面にすでに見出せ、文明開化期の風俗矯正による演劇革新の動きととも、市川団十郎の襲名などが報じられていた。しかし、演劇などの芸能に向けられた社会的視線は厳しく、廃止論なども掲載されていた。 これらの演劇中心の報道に加えて、一八七七年前後から美術関係(西洋絵画・写真)の記事が増加傾向に転じていた。しかし、一八七七年に第一回内国博覧会が開催され、第二回が一八八〇(明治一三)年に開催される頃になると、これまで肯定的に扱われてきた西洋画(油絵)や写真の記事が減少していき、それに代わって、それまでは否定的だった日本画(大和絵、山水画、錦絵)を肯定する言説が増加していくのである。 その背景には、西洋での日本文化評価の動きがフランスを中心にして起きたこととの関連が考えられる。いわゆるジャポニズムによる日本文化評価の高まりとともに、輸出振興の目的での日本美術への評価が向上したことを背景としていたのである。新聞は、社会の鏡という役割を担っている以上、美術関係記事ばかりではなく、多くの情報を提供する媒体となっている。それらを総合的に展望したとき、一八七七年は西南戦争という政治的な転換点の年であるとともに、美術界を中心として文化状況に大きな変化がもたらされた年といえるのである。
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