2015 Fiscal Year Annual Research Report
アルメニア「祖国帰還」運動に見る民族アイデンティティの諸相
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23520790
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
吉村 貴之 早稲田大学, 付置研究所, 准教授 (40401434)
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Project Period (FY) |
2011-04-28 – 2016-03-31
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Keywords | アルメニア / ソ連邦 / トルコ / ナショナリズム / ディアスポラ / 共産主義 / シリア・レバノン |
Outline of Annual Research Achievements |
第二次世界大戦後が再開したアルメニア人「祖国帰還」がソヴィエト・アルメニア社会に与えた影響については、24年度にも、1965年にソヴィエト・アルメニア政府が、アルメニア人虐殺50周年記念集会をどのような理由で挙行したのかについて検討したが、本年度がアルメニア人虐殺から100周年にあたるため、「祖国帰還」運動の影響を再び考察した。そもそも、第一次世界大戦時にオスマン帝国下で発生したアルメニア系住民の虐殺・追放事件の犠牲者を、50周年を機に追悼する動きは、国外のアルメニア人社会で見られていたが、ソヴィエト・アルメニア政府は、一方で国外で反ソ活動を行うダシュナク党を牽制し、全アルメニア人社会の盟主として振る舞うため、他方で国外から移住して来た在外同胞をソヴィエト体制に統合するため、この追悼行事を先導することは必須の課題であった。65年4月24日にオペラ劇場で行われた官製集会では、当初は当局の思惑通り、粛々と式次第が進行したが、やがて屋外で自発的に追悼集会を行っていた群衆の中から、現在トルコ領になっているアルメニア人居住地区の奪還を求める声が起り、やがてソヴィエト体制そのものに不満を抱く若者の暴動まで引き起こすことになった。 政府は暴動を鎮めるだけでなく、以後ソヴィエト・アルメニアに広がった反トルコナ・ショナリズムを統制するために慰霊碑を建立するなどの対策を執る必要に迫られることになった。また、この時期には同じトルコ系のソヴィエト・アゼルバイジャン領内でアルメニア系住民が多いナゴルノ・カラバフ自治州をアルメニアに帰属替えする運動が開始されたというパパズィアンらの説が流布しているが、一部の知識人の間でそうした欲求があることをアルメニア共産党も掴んでいたものの、政権側が積極的にソ連邦中央政府に働きかけるという事態には至っていなかったことが公開された政治文書から明らかになった。
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Research Products
(4 results)