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2012 Fiscal Year Research-status Report

イランにおけるアレクサンドロス遠征の経路と実態に関する歴史学的地誌学的研究

Research Project

Project/Area Number 23520908
Research InstitutionTeikyo University

Principal Investigator

森谷 公俊  帝京大学, 文学部, 教授 (60183662)

Keywordsイラン
Research Abstract

前330年1月、アレクサンドロス大王はスーサからペルセポリスへ向かう途中、ペルシア門と呼ばれる関門=現ヤスジ近郊のメーリアン渓谷においてペルシア軍を破った。
当該年度の最大の課題は、この関門でアレクサンドロスがたどった迂回路を検証することであった。そのためイラン人協力者とともに2泊3日の登山を行ない、可能な経路の一つを実際に踏破した。これを古代史料と照合した結果、個々の地形の特徴が史料に合致すること、ただし史料には山道の困難さについて誇張があること、迂回に要した時間は2晩と1日ではなく、3晩と2日である可能性が強いことがわかった。これはアレクサンドロス研究において世界初の成果である。
アレクサンドロスがスーサからぺルシア門に至った経路は、アケメネス朝ペルシア時代のスーサ・ペルセポリス間の「王の道」のうち、夏のルートと冬のルートを組み合わせたものであるとの仮説をたてた。冬のルートは現在の幹線道路に沿っており、通説が採用するものだが、夏のルートについては十分に解明されていない。そこでスーサ・イゼー・ヤスジをつなぐザグロス山中の道を車で走破し、これが「王の道」の一つであった可能性を探った。
現デーダシュトの北に巨大な岩にはさまれた隘路を発見し、これがスシア門と呼ばれる関門であったとの仮説をたてた。これが正しければ、この関門を通過する道は、夏の道と冬の道の連結路であったと考えられる。アレクサンドロスはスーサから平地の冬の道を通り、スシア門を通過しザグロス山脈を縦断して夏の道からペルシア門に至り、これを突破して夏の道をたどってペルセポリスに到達したのである。彼の経路はまさしくアケメネス朝の「王の道」によって規定されていたことが明らかになった。

Current Status of Research Progress
Current Status of Research Progress

2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.

Reason

全体として、目的の主要部分はほぼ達成できた。残された課題は目的の個々の部分にかかわるもので、全体の8割を達成できたと考えている。
第一に、ペルシア門の位置とマケドニア軍の迂回路が特定できたことにより、前330年1月スーサからペルセポリスに至るアレクサンドロス遠征路のうち、もっとも重要な部分が解明できた。とりわけ登山によって迂回路を実地に踏破し、可能性の一つを証明したことは、アレクサンドロス研究において世界初の成果である。調査の手掛かりは、これまでの通説を根底的に批判したスペック教授の仮説であるが、実地調査によってスペック説の主要部分の正しさを証明できた一方、遠征経路の一部についてスペック説とは別の仮説をたてることができた。このように2年間で予期した以上の成果を得られた。
第二に、現地における協力体制についても、当初の見込み以上の結果が得ることができた。すなわち在イラン日本大使館とイラン文化遺産庁付属研究所から後方支援を得て、現地では考古学教授とプロの山岳ガイドが調査に同行してくれた。ザグロス山脈の辺境地帯における調査は、こうした支援体制なくしては到底不可能であった。
他方で、遠征経路の調査を通じてアケメネス朝時代の「王の道」を復元するという目的については、残された課題が少なくない。①アレクサンドロスがザグロス山脈に入った地点と、そこからペルシア門までの経路については、まだ完全に調査しきれておらず、スペック説にとって替わるだけの証拠が集められていない。②「王の道」の夏のルートを山中のカールーン川流域に求める仮説については、アケメネス朝時代の直接の証拠が不足している。③スシア門を通る道が夏と冬のルートの連結路であったとの仮説はまだ思いつきの段階であり、実証するだけの証拠がまだ揃っていない。

Strategy for Future Research Activity

これまでに得られた現地の協力体制を引き続き活用し、残された課題の細部を一つ一つ実証していくことが基本方針となる。具体的には以下のようである。
①メーリアン渓谷における迂回路の調査をふまえて、アレクサンドロス軍がペルシア軍を攻撃した状況を具体的に復元すること
②従来の通説であるファーリアン渓谷=ペルシア門との説を完全に批判しきること。 ③スシア門を通る道がアケメネス朝時代の「王の道」の夏と冬のルートの連結路であったことを証明すること。
④アレクサンドロスがザグロス山脈に入った地点について、スペック説の妥当性を実地調査によって検証すること。
以上を踏まえて、スーサからペルセポリスに至るアレクサンドロスの経路と戦闘を完全に復元し、同時にアケメネス朝時代の「王の道」の具体的ルートを確定する。こうして当初掲げた研究目的を完全に遂行することを目指す。

Expenditure Plans for the Next FY Research Funding

本計画申請の時点では、3年目はヨーロッパの研究所において文献調査を行う予定であった。しかし現地調査を要する課題がいくつも残っており、またイランにおける協力体制をさらに発展させることが望ましいとの観点から、もう一度イランで実地調査を行うことを次年度の課題遂行の中心としたい。したがって研究費の約3分の2は旅費に使用することとなる。具体的には、申請者自身の旅費と、現地協力者の旅費、ガソリン代、謝礼である。
次年度は最終年度となるので、成果報告書を作成する。そこには現地で撮影した写真をカラーで多数掲載する必要があるので、通常の文章中心の報告書よりも作成経費が掛かると予想される。したがって研究費の3分の1近くを報告書の作成および発送費にあてる予定である。
関連する書籍はとくに重要なものに限って購入し、その経費は可能な限り抑える。

  • Research Products

    (2 results)

All 2013

All Journal Article (1 results) Presentation (1 results)

  • [Journal Article] イラン旅行記:ザグロス山脈の奥深く2013

    • Author(s)
      森谷公俊
    • Journal Title

      帝京史学

      Volume: 28 Pages: 221ー315

  • [Presentation] イランにおけるアレクサンドロス遠征路の実地調査2013

    • Author(s)
      森谷公俊
    • Organizer
      日本西洋史学会
    • Place of Presentation
      京都大学
    • Year and Date
      2013-05-20

URL: 

Published: 2014-07-24  

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