2013 Fiscal Year Annual Research Report
イランにおけるアレクサンドロス遠征の経路と実態に関する歴史学的地誌学的研究
Project/Area Number |
23520908
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Research Institution | Teikyo University |
Principal Investigator |
森谷 公俊 帝京大学, 文学部, 教授 (60183662)
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Keywords | アレクサンドロス / アケメネス朝ペルシア / ペルセポリス / ペルシア門 |
Research Abstract |
前331年末から前330年1月にかけて、アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシア帝国の首都スーサからペルセポリスまで行軍した際の経路、および2度の戦闘地点を特定するため、3年続けてイランで実地調査を行った。その結果、従来の通説は誤りであり、2002年にスペック教授が発表した仮説が正しいことを確認した。すなわち山岳民族であるウクシオイ人との戦闘地点=ウクシオイ門は、スーサの東のザグロス山脈入口であり、ペルシア門と呼ばれる隘路は現安治近郊のメーリアン渓谷に同定できる。 ペルシア門でアレクサンドロスは迂回路をたどり、ペルシア軍の背後に出てこれを打ち破った。その迂回路を特定するため、現地協力者とともに2泊3日の登山を敢行した。その結果、大王伝の記述と一致する山中の経路を発見し、迂回路と戦闘の経過を復元することに成功した。おそらくこれは世界初の成果である。ペルシア側から見た時、ペルシア門での戦闘は、アケメネス朝最後の戦闘として再評価しなければならない。 次に、アレクサンドロスがウクシオイ門からペルシア門へ進んだ経路を解明するため、ザグロス山中の道を可能な限り車で走破した。しかしながら現地の情勢と時間の制約のため、最終的な結論には至らなかった。それでも、スーサとペルセポリスを結ぶ「王の道」には、平地の冬のルートと山中の夏のルートの2つがあった可能性が高いという結論が得られた。これにより、アレクサンドロスがアケメネス朝の交通網をそっくり利用して遠征したという事実があらためて証明できた。 前330年夏にダレイオス3世が東へ逃走し、これをアレクサンドロスが追撃した経路を実地調査した。大王の宿営地とされる地点を訪問し、ダレイオスの死亡地点が現ダムガン付近であるとの結論を得た。また大王がマケドニア軍を再結集したヘカトンピュロスと呼ばれる地点を探索し、グシェ村の南にその跡を確認した。
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