2011 Fiscal Year Research-status Report
戦時在独日本大使館員の亡命をめぐる情報戦ーー崎村茂樹の軌跡と周辺
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23530170
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
加藤 哲郎 早稲田大学, 政治経済学術院, 教授 (30115547)
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Project Period (FY) |
2011-04-28 – 2014-03-31
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Keywords | 亡命 / 在独日本大使館 / 情報政治 / 日独関係 / 崎村茂樹 / ヴィリ・ブラント / インターナショナル / 社会民主主義 |
Research Abstract |
本研究は、第二次世界大戦中の1943―44年に駐独日本大使館嘱託でありながら中立国スウェーデンに亡命し、当時の『ニューヨーク・タイムズ』『タイム』等連合国側メディアで「初めて連合軍に加わろうとした日本人」「枢軸国の敗北を初めて公言した日本人」と報道された、元東京大学講師崎村茂樹の軌跡と周辺の解明を通じて、亡命という行為の持つ政治的意味と効果を、情報政治・情報戦の観点から解明するものである。 1945年の日本敗戦後、崎村茂樹は米国情報機関の機密記録にのみ残され忘れ去られたので、その周辺での戦時欧州の諜報戦、ドイツ敗戦時の在欧日本人、1950年中国毛沢東暗殺未遂事件など、20世紀政治史の隠された史実の発掘としての意味を持つ。 初年度である平成23年度は、ドイツ、スウェーデン、アメリカ合衆国および日本における資料収集・聞き取り調査にもとづき、特に崎村茂樹の1943-44年スウェーデン亡命期における、後の西ドイツ首相ヴィリ・ブラント、ノーベル賞受賞者ミュルダール夫妻らとの接触の記録を発見し、実証することができた。 その中間成果を雑誌論文「社会民主主義の国際連帯と生命力ーー1944年ストックホルムの記録から」(『未来』第541号)にまとめて公表し、更なる情報提供をよびかけることができた。ただしスウェーデンでは、亡命中における日本公使館員や同盟通信特派員との接触の可能性も出てきて、さらに研究を深化する必要が出てきた。 中間報告への専門研究者からの反応・情報提供により、オーストリアのウィーンが、新たな調査対象地として浮上した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
初年度夏までの研究成果は、中間報告論文「社会民主主義の国際連帯と生命力ーー1944年ストックホルムの記録から」(『未来』第541号、2011年10月)に、おおむね公表された。 ドイツ・ボンにおけるエーベルト財団ヴィリ・ブラント・アーカイヴ調査で、崎村茂樹の直接資料はなかったものの、ブラントら戦時ストックホルムの亡命社会民主主義者による「リトル・インターナショナル」の月例会記録を閲覧することができ、ブラント自伝 Willy Brandt,"Links und frei: Mein Weg 1930-1950",Hoffmann und Campe, 1982, S.341から崎村茂樹の出席が確認されている会合の、規模・出席者・頻度・決議・討論内容等について、具体的に知ることができた。 スウェーデンの研究協力者Dr.Bert Edstromとの面談のさい、事前に頼んでおいた崎村茂樹とストックホルムの病院で一緒になり「亡命」を勧めたと在独日本大使館「崎村茂樹問題文書」に出てくるスウェーデン人教師 Rector Per Sundberg (Viggbyholmschule)及び後見人になるTorsten Gardlundの記録の中から、Per Sundberg (1889-1947)宛の崎村茂樹の直筆独文手紙2通(1944年2月8日、5月22日)等、新資料が見つかった。 Dr.Bert Edstromからストックホルムの「リトル・インターナショナル」を詳しく研究したドイツ語博士論文 Klaus Misgeld, Die Internationale Gruppe demokratischer Sozialisten in Stockholm 1942-1945, Acta Universitatus, Uppsala 1976, の存在を教えてもらい、その後入手することができた。
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Strategy for Future Research Activity |
中間報告論文「社会民主主義の国際連帯と生命力ーー1944年ストックホルムの記録から」(『未来』第541号、2011年10月)の公表により、オーストリアのウィーンが、新たな調査対象地として浮上した。一つは、初年度ボンでのヴィリ・ブラント・アーカイヴ調査で、戦後西独首相ブラントと共にストックホルム亡命社会民主主義者の中心であることが確認された、戦後オーストリア社会党政権の初代首相ブルーノ・クライスキーの記録が、ウィーン大学図書館に外交文書として保存されていることが判明した。また、1943年にベルリン在住の崎村茂樹と笠信太郎がウィーン大学のGastvortrag に招かれた記録がウィーン大学アルヒーフにあることがわかった。この点から、これまでのドイツ・スウェーデンのほか、オーストリアでの調査が必要になった。 第二年度当初計画で主たる対象と想定した、戦後中国内戦期における崎村茂樹については、事前の問い合わせにより、北京市档案館資料及び北京市公安資料の閲覧は困難であることがわかった。引き続き中国本土の研究協力者に情報収集を頼んでいるが、現地調査では周辺資料収集に留まらざるを得ず、むしろ米国国立公文書館における在中国長春・北京米国領事館記録の調査・収集に主力を注ぐことにする。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
海外での調査・資料収集が、引き続き研究費の主要な使途となる。パソコン等研究インフラは初年度経費でおおむね整ったので、第二年度は物品・図書費等は必要最小限に留め、国内及び海外の史資料購入・複写などに研究費を用いる。
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Research Products
(13 results)