2011 Fiscal Year Research-status Report
発掘遺構と神社建築を中心とする祭祀・祭政用建物の概念に関する研究
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23656374
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
黒田 龍二 神戸大学, 工学(系)研究科(研究院), 教授 (40183800)
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Project Period (FY) |
2011-04-28 – 2013-03-31
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Keywords | 纒向遺跡 / 伊勢神宮 / 出雲大社 / 日本書紀 / 古事記 / 復元建築 / 初期ヤマト王権 / 王宮 |
Research Abstract |
纒向遺跡復元建築4棟の模型を再検討し、修正して現在大阪府立近つ飛鳥博物館に展示し、批評、意見を待っている。加えて、纒向遺跡建物Dの床構造の模型を作製し、検討した。 中国宮殿建築を中心に視察した。紫禁城、天壇、日壇、承徳避暑山荘、燕都博物館などを視察した。建築技術に関しては、紫禁城、独楽寺が参考になった。日本とは異なる質の技術、文化があることが理解できた。王宮、仏教寺院建築、道観、祭祀施設、道観とも、南北の軸線と左右対称配置を極めて厳格に守っている。纒向遺跡および日本の神社建築にしばしば見られる東西軸の建築構成はないと思われる。少なくとも基本的ではない。また日本建築に見られる左右対称の軽視もない。 纒向遺跡、伊勢神宮、出雲大社の建築の関係について考察し、拙著『纒向から伊勢・出雲へ』(学生社、2012年2月)を刊行した。このなかで、纒向遺跡建築群の復元方法を公表した。また纒向遺跡の大型建物は出雲大社本殿と類似すること、棟持柱建物は伊勢神宮と類似することを指摘した。日本書紀、古事記には初期ヤマト王権の王宮と伊勢神宮、出雲大社の関係が記述されている。纒向遺跡が初期ヤマト王権発祥の地であることはほぼ確実である。4棟の建築群が王宮である確立も非常に高い。したがって、記紀の崇神天、垂仁天皇の段の記述と纒向遺跡は一致するとみてよい。そうすると、戦後一貫して、信用できないとされてきた記紀の記述の意味を再検討する必要が生じたといえる。これが認められれば、古代史上の大きな問題提起となる。 以上のような有意義な成果をあげることができた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究計画の(1)纏向遺跡の再検討、(2)出雲大社周辺遺跡の検討、(3)伊勢神宮と出雲大社の祭儀の検討を行い、拙著『纒向から伊勢・出雲へ』(学生社、2012年2月)を刊行して、世の批判をまつ段階なので、研究目的は概ね順調に達成したと評価する。
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Strategy for Future Research Activity |
1.書物で公表した研究成果に対する反応により、考察、研究を深める。2.日本国内の特に出雲大社周辺の神社建築の調査研究を深める。出雲大社と纒向遺跡の建築の共通点は殿内祭祀であったが、これは全国的には特殊と見られるので、さらに考究を深めたい。3.国内神社建築と、祭祀遺跡、復元建築の検討。4.中国建築の技術と思想の検討。昨年度いけなかった寺院、宮殿、遺跡の調査
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
デジタルカメラ 一式150000中国旅費 300000国内旅費 150000書籍など 153480
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