2013 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
23760607
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Research Institution | Tohoku Institute of Technology |
Principal Investigator |
大沼 正寛 東北工業大学, 公私立大学の部局等, 准教授 (40316451)
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Keywords | 天然スレート / 民家建築 / 陸前北上地方 / 旧桃生郡十五浜 / 硯と石盤 / 二次良品地消システム / 復興産業史 / 昭和広域文化的景観 |
Research Abstract |
本研究は、天然スレート民家建築の分布状況とその普及プロセスを明らかにすることを目的としたフィールド調査研究であり、石巻市雄勝町付近=旧桃生郡十五浜を第一として、宮城県北・岩手県南の産地や周辺の旧町村を中心に確認し、地理情報システムで配置・集計した。信州諏訪鉄平石なども比較考察したが、被災状況が深刻ゆえ現地調査を優先し海外視察は割愛した。 遺構の地理的分布としては、北限は遠野市、西は奥羽山脈を越えず、南限は黒川郡大和町から松島・塩釜付近とみられる。産地に近いところは局所的に集中、全体として陸前北上地方に分布することが分かった。 旧桃生郡十五浜では、鎌倉・南北朝時代に地方豪族、修験者らが出入りし、神仏混淆の社寺、板碑、硯産業の起源が培われていたが、明治に入り学制公布があり、十五浜名振の永沼秀実と山本儀兵衛が雄勝で硯の採掘坑を見て石盤産業を起業する(1873)。一方、建築界では洋風建築体得が命題で、建築家と職人集団がドイツ・ベルリンに留学(1886)、そのなかに屋根職の篠崎源次郎がおり、帰国後十五浜に来訪した(1890)。その後まもなく明治三陸津波が発生するが(1896)、この前後にむしろ地元産業は盛んになった。富国強兵時代は洋風建築の最盛期で、産業は登米や志津川入谷、陸前高田矢作などに飛び火するが、他方、昭和三陸津波が襲う(1933)。当時、中央では洋風建築のトレンドが過ぎゆくが、地元では昭和10年前後の天然スレート民家建築が多く建てられている。最良品は依然中央市場に供給するが、それに次ぐ良品は域内で用いる二次良品地消システムが復興プロセスのなかで形成され(二次でも十五浜の民家建築意匠は多彩)、それが昭和広域文化的景観に波及した様相が伺える。 以上、膨大なデータ蒐集は完成には至っていないが、甚大な震災のなかで分布の現状と歴史地理のアウトラインを導出することができたことは成果といえる。
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Research Products
(9 results)