2012 Fiscal Year Annual Research Report
聖興寺伽藍再建に見る近代寺院建築技術の継承と地方伝播に関する研究
Project/Area Number |
23760613
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Research Institution | Kanazawa Institute of Technology |
Principal Investigator |
山崎 幹泰 金沢工業大学, 環境・建築学部, 准教授 (10329089)
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Keywords | 日本建築史 / 浄土真宗寺院 / 近代和風建築 |
Research Abstract |
荒木保太郎の履歴について調査を行い、彼が30~40代前半に東本願寺造営に関わった後、聖興寺再建に関わったことが明らかになった。東本願寺明治度造営は、明治13年10月釿始、明治22年5月大師堂上棟、明治25年11月本堂上棟、明治28年遷仏式である。荒木の名前は、『東本願寺 明治造営百年』(真宗大谷派本廟維持財団、1978)によると、「両堂釿始式次第」(明治13年10月)に加賀・荒木保太良とあるのが最も早い。「両堂係大工姓名簿職人部(明治十七年度)」には「荒木保太郎(三十五年) 石川県金沢区玉川町」とあることから、荒木の生年は嘉永3年(1850)頃と考えられる。 また、荒木は明治24年1月に造家学会(現在の日本建築学会)に準員として入会した。入会時の住所は「西京下京区不明門通五條南木子方」で、同住所・同時入会が荒木のほかに20名いた。いずれも、木子棟斎の元で東本願寺造営に関わった大工とみられる。同年7月建築雑誌55号に、荒木が投稿した寄書「琴堂」が掲載。明治27年12月、学会を除名となった。 聖興寺火災の翌25年8月までに木子は聖興寺本堂の設計を終え、9月に本堂の釿始が行われた。釿始では大番匠が柴田匠之介、武田弥平で、荒木は次席だったが、木子の死後、棟梁代勤に昇格した。聖興寺本堂竣工後の明治33年、松任金剣宮(白山市西新町)の本殿屋根葺替えの棟札に「棟梁 荒木保太郎」の名前を確認できた。これより後の荒木の活動については明らかにできなかった。 一方、聖興寺再建の後、荒木から聖興寺に関する書類一式を託された喜多家では、二代・喜多源右衛門(嘉永4年生)、三代・治三郎(明治15年生)、四代・栄吉(明治36年生)が聖興寺に代々携わってきた。喜多家では聖興寺のほか、北陸企業銀行松任支店、松任警察署、若宮八幡神社神輿ほか、地元の数多くの神社、寺院建築を手がけたことが判明した。
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