2012 Fiscal Year Annual Research Report
両大戦間期における地方企業の経営展開と株主:秩父鉄道株式会社の事例
Project/Area Number |
23830083
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Research Institution | Rikkyo University |
Principal Investigator |
恩田 睦 立教大学, 経済学部, 助教 (50610466)
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Project Period (FY) |
2011-08-24 – 2013-03-31
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Keywords | 経営史 / 鉄道史 / 両大戦間期 / 株主 / 地域振興 / 地方鉄道 / 観光地開発 |
Research Abstract |
秩父鉄道株式会社は、1914年から1930年までのいわゆる両大戦間期に経営規模を拡大した。この背景には、東京市をはじめとする都市化現象があった。1923年9月の関東大震災を契機にして住宅資材としてセメントが重用され始め、また人口が密集する都市部では、自然を愛でるために郊外に出かけることがブームになった。秩父鉄道の沿線には、秩父セメント工場が立地し、なおかつ東京市内から日帰りができる長瀞渓流といった行楽地があったことで、貨物・旅客ともに輸送量を高めることができたのである。本研究では、資料上の制約と時間的な制約から、秩父鉄道が、行楽ブームをいかに利用して長瀞を行楽地として開発し得たのかについて注目した。 秩父鉄道は、2代目の取締役社長の柿原定吉のもと、自然豊かな地として長瀞および宝登神社に学生団体をはじめ家族連れを割引運賃を設定するなどして誘致した。秩父鉄道にとって、景況の変化や荷主の都合により輸送量が変動しやすい貨物輸送に対して、広告宣伝や運賃割引などの施策によって活発にできる遊覧客誘致は、安定した運輸収入をあげるうえで極めて重要であった。ただ、長瀞が遊覧地として発展した要因について考えたとき、秩父鉄道の経営者や株主だけによるものであったかと言えば、決してそうではなかったことを強調したい。確かに、宝登神社の責任者である社司は、代々秩父鉄道の株主であり、株主総会などを通じて会社経営に関与してきた。しかしながら、長瀞の地元には、株主ではないものの秩父鉄道が誘致してくる遊覧客に商機を見出し、そのことが行楽地としての長瀞を都市の人々に周知させることに繋がると考えた人々がいたのであり、この点が本研究の意義である。秩父鉄道は、このような地元の有志者を利用することで長瀞の諸施設(遊船、鮎釣、鉱泉、グラウンド、テニスコート)を整備させ、一大行楽地として宣伝することができたのであった。
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Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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