2013 Fiscal Year Annual Research Report
パレスチナ自治区鉄器時代都市の社会的、宗教的変化に関する考古学的総合研究
Project/Area Number |
24251015
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Section | 海外学術 |
Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
杉本 智俊 慶應義塾大学, 文学部, 教授 (80338243)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
西山 伸一 中部大学, 人文学部, 准教授 (50392551)
渡部 展也 中部大学, 人文学部, 准教授 (10365497)
高井 啓介 東京大学, 人文社会系研究科, 研究員 (00573453)
菊池 実 東京基督教大学, 神学部, 准教授 (20296354)
岡田 真弓 北海道大学, アイヌ・先住民研究センター, 研究員 (80635003)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | パレスチナ / 考古学 / 文化資源学 / ベイティン / 青銅器時代 / 鉄器時代 / ビザンツ時代 |
Research Abstract |
2013年度は、2012年度に作成した地形図、遺構の分布図、表面調査の成果に基づいて、ブルジュ・ベイティン遺跡とワディ・タワヒーン沿いの墓域において考古学的発掘調査を開始した。昨年度調査期間が短縮されたため、繰り越された経費も使用して、発掘初年度に必要な体制づくりも行った。 ブルジュ・ベイティン遺跡では、A~Cの3地区を設定して発掘調査を行った。その結果、遺跡の周囲を囲む二重の壁の内側は部屋となっており、ビザンツ時代に岩盤の上に直接造られたものであることがわかった。西側中央部分では列柱で挟まれた門が検出され、周囲の部屋はモザイクの床で飾られていたことがわかった。この遺構はビザンツ時代の教会の一部だった可能性が高いが、その後、少なくとも3回の改変を経験していた。中央に残る塔の西側部分では、ビザンツ時代の層が2枚、十字軍~マムルーク朝時代の層が2枚確認された。塔自体は教会堂の構造と合わないように思われ、積み直しの跡も見られるが、それがいつ頃建設され、どのようにして現在の姿になったのかはまだ検討中である。塔の東側の地区では、マムルーク朝時代の遺構が出土した。 ワディ・タワヒーンでは、3基の竪穴墓と1基の横穴墓の発掘調査を行った。竪穴墓はその形状と土器から移行期青銅器時代のものであることがあきらかとなった。この時期の居住の有無については、これまで議論があったので、この情報は貴重である。また、横穴墓は基本的にローマ時代のものであることがあきらかとなった。しかし、墓には改変の跡が認められ、中からは鉄器時代の土器も出土しているので、その始まりはさらにさかのぼる可能性がある。この点は、この墓域の性格を理解する上で重要となる。 観光資源化については、観光・考古省とベイティン村役場、慶應義塾大学の三者で、遺跡を公園化し、観光開発を行うためのコミッティーを設立した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
まず、現地における発掘調査の体制が確立されたことは、過去50年以上ほとんど本格的な発掘調査がなされてこなかったパレスチナ自治区においては、大きな進展である。 ブルジュ・ベイティン遺跡では、全体的な編年の枠組みがほぼ捉えられたこと、ビザンツ時代以前の遺構が今の所見つかっていないことが重要である。中心的な遺構は教会堂らしいこと、それがかなり壮麗なものであること、ビザンツ時代初期に建てられたベツレヘムの生誕教会と似ていることなどが指摘されている。今後は、この遺構の全体像を明らかにする必要がある。 この遺構はその後何度か改変されたことが確認されており、遺跡の東側ではマムルーク朝時代の大型建物が出土した。同時代の遺構はまだあまりよく知られていないので、ビザンツ時代以降、この地域がどのように変化したのかを捉える上でよい資料になると考えられる。 谷沿いの墓においても、少なくとも移行期青銅器時代とローマ時代の墓が確認された。特に移行期青銅器時代に関しては、学問的に議論があるだけに、重要な成果と言えよう。ローマ時代の墓の形状は、紀元1世紀のエルサレムに見られるユダヤ人の墓とよく似ている。しかし、特異な点や改変の跡もあるので、エルサレムの墓やそれ以前の墓との関係を検討する上で貴重な資料となるであろう。 ベイティン遺跡を今後遺跡公園化し、観光開発するためのコミッティーが設立されたことも、将来に向けて重要な一歩である。今後この組織は、戦略の立案や地元住民の啓蒙活動などを行っていくための基礎となる。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、昨年度までに確立された発掘調査体制に基づいて、さらにブルジュ・ベイティン遺跡とワディ・タワヒーンの墓域の発掘調査を進め、その遺構の年代と性格を正しく把握することに努める。 ブルジュ・ベイティン遺跡の主たる遺構は本当に教会堂なのか、同地に伝わるアブラハム伝承とどう関係するのか、ビザンツ時代の他の教会堂とどういう関係にあるのか、などが大きな課題となるであろう。また、それ以降の改変の歴史を解明することで、ビザンツ時代の都市がいかに破壊され、衰退したのか、十字軍時代やマムルーク朝時代にこの地域の性格はどのように変化したのかを捉えることができるようになるであろう。そのためにも、塔と教会堂の関係を解明することは不可欠である。 墓域においては、横穴式の墓がまだ完掘されていないので、それを完了し、その構造を完全にあきらかにする予定である。また、できれば、あと1基同様の形式の墓を発掘して比較資料を入手することとしたい。エルサレムのユダヤ人の墓やそれにさかのぼる鉄器時代の墓との関連性も検討したい。 以上のような研究では、発掘調査だけでなく、類例研究が欠かせない。教会堂、塔、墓はもちろんのこと、さまざまな装飾技法や遺物に関しても、周辺地域から知られている遺構や遺物との比較検討を行っていきたい。 文化資源化に関しては、設立されたコミッティーを通して遺跡公園化と啓蒙活動の戦略を立て、実行することが重要となる。その際、JICAなど経験のある組織と協力をし、公園化の方策を考えることも可能性である。また、地域の子供たちや婦人会で講演会を行ったり、地元のコミュニティ誌に遺跡紹介を行うなど地道な啓蒙活動も実践していく予定である。
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