2014 Fiscal Year Annual Research Report
パレスチナ自治区鉄器時代都市の社会的、宗教的変化に関する考古学的総合研究
Project/Area Number |
24251015
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
杉本 智俊 慶應義塾大学, 文学部, 教授 (80338243)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
高井 啓介 東京大学, 人文社会系研究科, 研究員 (00573453)
渡部 展也 中部大学, 人文学部, 准教授 (10365497)
菊池 実 東京基督教大学, 神学部, 准教授 (20296354)
西山 伸一 中部大学, 人文学部, 准教授 (50392551)
岡田 真弓 北海道大学, 学内共同利用施設等, 研究員 (80635003)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | パレスチナ / 考古学 / ベイティン / 都市 / 宗教 / 遺跡保存 |
Outline of Annual Research Achievements |
申請者は、2012年度~2014年度にかけて、パレスチナ自治政府観光考古省と共同で、ベイティン遺跡の考古学的発掘調査および遺跡保存・活用に関する研究を行ってきた。 まず遺跡の全体像を把握するために、ベイティン村の地形図を作成し、遺構の分布を確認した。その結果、村には銅石器時代からビザンツ時代の町の跡であるテル、その麓に位置する大型の貯水池と水利施設、村の南東に位置し目立つ塔が残るブルジュ・ベイティン、南側のワディ沿いに広がるネクロポリスと大きく4つの性格の異なる遺跡が存在することがわかった。テルとブルジュ・ベイティンでは、より詳細な地形図作成と表面調査も行った。 発掘調査は、ブルジュ・ベイティンとネクロポリスで行った。ブルジュ・ベイティンでは、塔の周囲に切り石製の二重周壁が存在したことが判明し、そこから三連門やモザイクの敷かれた部屋を検出した。これは、ビザンツ時代初期のキリスト教建築(教会か修道院)だと考えられる。この建物は、その後少なくとも3回建て直されており、その最終段階では出入口がすべて封鎖されていた。これはマムルーク朝時代の活動の結果だと思われる。塔の周囲の調査も行われ、塔自体はビザンツ時代初期の建物の石敷きの床を破壊して建てられていたことがわかった。建築の形状などからすると、ビザンツ時代後期の狼煙連絡用の見張り塔だったのではないかと考えられる。また、マムルーク朝時代の活動の跡も確認され、特に塔の東側では地下室を伴う建築が検出された。 ネクロポリスでは、53基の横穴墓と30基以上の竪穴墓が確認され、その分布図が作成された。また、竪穴墓3基、横穴墓2基を発掘した。竪坑墓は移行期青銅器時代の墓、横穴墓はローマ時代のユダヤ人の墓だと考えられる。 遺跡の保存・活用に関しては、地元小学校での講義や観光用パンフレット、看板の作成などを観光考古省と協議しながら進めている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
ベイティン遺跡は聖書のべテルの町と同定され、アブラハムなど族長の時代やイスラエル王国時代に重要な聖所があった場所だとされている。そのため、古代イスラエルの歴史や宗教を考える際に不可欠の遺跡である。 本研究の分布調査では、この村に銅石器時代からマムルーク朝時代までのさまざまな遺跡が散在することがあきらかとなった。当初の研究計画では、青銅器時代から鉄器時代に焦点があてられていたが、実際にはより長い歴史的視点で都市の発達や宗教変化を捉える必要があることが示された。 ブルジュ・ベイティンで出土したキリスト教施設は、ローマ帝国のキリスト教公認後まもなく建てられた壮麗な大型建築であり、アブラハムを記念して政府の支援のもとで建てられた可能性も考えられる。その場合、エルサレムの聖墳墓教会やベツレヘムの生誕教会との比較も視野に入れる必要があるであろう。また、この建物がその後改変されていること、特に周壁や塔の入り口が封鎖されている様子は、この地域のイスラーム化を反映している可能性が高い。 移行期青銅器時代の竪坑墓が多数確認されたことは、族長時代の町の様子を知る上で貴重な情報となる。一般に聖書の族長物語になんらかの歴史性を認める場合、移行期~中期青銅器時代を想定することが多いが、この時代の居住の証拠はこれまで貧弱だった。今回の調査結果は、こうした議論に新たな視点を持ち込むこととなる。また、横穴墓は、ローマ帝国によるユダヤ人追放(紀元70年)前後のパレスチナの状況を知る貴重な資料となる。 現在、聖書時代の都市の跡だと考えられるテルの調査にはまだ着手していないが、すでにその周囲の調査からさまざまな情報が得られており、それら自体も極めて重要である。今後はテルの調査に着手し、より核心的な情報を得ることをめざしたい。
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Strategy for Future Research Activity |
残りの2年間は、これまでの調査成果を記録し、公開の準備を進めるとともに、まだ十分調査されていない地点での発掘作業を継続する。ベイティン村における保存・啓蒙活動も継続する。日本では、パレスチナ考古学に関する国際カンファレンスを開催し、その成果を還元する。 2015年度は、まだネクロポリスの竪坑墓の分布図が完成していないので、それを作成する。ブルジュ・ベイティンでは、周壁の東側部分を発掘することで、この大型建物の全容及び塔との厳密な層位関係を解明する。また、塔の内側を発掘し、その性格把握に努める。 2016年度は、この村の中で最も中核的な遺跡であるテルの発掘調査を開始する。その際、鍵となる地点にトレンチを入れ、概要をつかむことから始め、将来の調査・研究につなげていく。必要に応じて、ブルジュ・ベイティンで残された調査も行い、同地区の発掘調査を完了する。 さらに、2016年度は本研究の最終年にあたるので、現地の共同研究者であるパレスチナ観光考古省のH・タハ博士、J.ヤシン長官を日本に呼び、国際カンファレンスを開催する。その際、研究代表者と研究協力者も本研究の成果の一部を発表する。 現地ベイティン村では、現在準備中の観光用パンフレットの出版と案内看板の設置を行い、将来的なビジターセンター(小型博物館)設立に向けた協議を進める。
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