2013 Fiscal Year Research-status Report
セネガル、ニアセン教団における境界の超越とアフリカ諸国への拡大の比較研究
Project/Area Number |
24401037
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Section | 海外学術 |
Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
盛 恵子 名古屋大学, 文学研究科, 研究員 (30566998)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | イスラーム / ニアセン教団 / スーフィー教団 / モーリタニア / セネガル / 黒人と白人 / タルビヤ / 女性 |
Research Abstract |
セネガル人イブラヒマ・ニアス(1900-1975)が創設したティジャーニー教団の分派ニアセン(ここではニアセン教団と呼ぶ)の西アフリカへ全域への拡大は、彼の弟子となった4人のモール人のムカッダム(希望者を教団に加入させる資格を持つ宗教指導者)の布教活動に多くを負う。彼らはイスラーム学者であり、伝統的にイスラーム学者・教師の役割を担う成員を有するザワーヤと総称される部族に属した。今年度は彼らの息子たちである有力なムカッダムたちから、①イブラヒマの権威の受容に彼らが与える意味 ②ニアセン教団独自の、万人が行うべきとされる、神を知るための宗教訓練タルビヤの実践の実態 ③イブラヒマが推奨した、女性のムカッダムへの登用 を調査した。モーリタニア南部トラルザ地方の4つの村と1つの市で調査した。住民の大部分はザワーヤで、かつニアセン信徒である。そのうちの4つは、これらのムカッダムたち、あるいはその兄弟が長を務める。次の結果になった。 ①セネガル人のニアセン信徒は、イブラヒマ・ニアスの教えの本質は、人種・宗教を問わずすべての人間は神の被造物として平等だという思想にあるとみなし、モール人がイブラヒマの権威を認めたことを、黒人と白人の平等の実例と解釈する。しかしモール人ムカッダムたちは、1人を除いて、人種の平等をイブラヒマの教えとみなしていなかった。彼らの父たちの、イブラヒマの学識を正当に評価できた学識の深さと、真理の追求のためには黒人の弟子になることも厭わなかったイスラームへの献身が語られた。 ②現在セネガル人のニアセン信徒ははぼ全員が、若いうちにムカッダムからタルビヤを受けるが、モーリタニアでは、タルビヤを受けるのはより遅く、かつ信徒の3割程度である。 ③モーリタニアでは一般に、女性が指導的役割を担ってはならないという慣習があり、実質的な宗教指導者である女性は調査地域には見いだせなかった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
ニアセン教団拡大に果たしたモール人ムカッダムたちの役割を最初に強調したのはゼーゼマンの論文 [Seesemann 2004]である。我々は彼が調査した村を見つけ、さらに彼が訪れていないその周囲の4つのニアセン信徒の居住地で調査し、彼の主張を確認した。さらにゼーゼマンがこの論文で強調していなかった、最初のモール人ムカッダムであるムハマドゥ・アル・ナーウィの役割を、彼の息子から詳しく聞くことができた。この人はイブラヒマ・ニアスがセネガルのコースィで主著を執筆していた当時彼とともにあり、この著作によって彼を高く評価してモール人たちの間にその情報を伝えた。彼はイブラヒマの発見者であり、ニアセン教団に拡大の契機をもたらした最大の功労者だといえる。 また、モール人自身がイブラヒマへの帰服に与える解釈はセネガル人のニアセン信徒たちのそれとは異なっており、モール人指導者の大部分にとって黒人に対する白人優位の原則は依然として保たれていることがわかった。タルビヤ実践の実態もセネガルとモーリタニアでは異なり、地域差の存在が明らかになった。またセネガルのニアセン信徒の間では、女性の学者や女性のムカッダムが活躍し、尊敬を受けているが、これらの調査地では女性の指導力は認められていないことがわかった。これはイブラヒマの本来の教えからすれば、後退だといえる。 これらの成果があったがしかし、イスラーム過激原理主義者が存在する国なので、安全上の理由から、ある村の村長兼ムカッダムの客として調査を行ったので、一般信徒との対話は充分にはできず、したがってモーリタニアの地方に残存する、奴隷制に代表されるモーリタニアの黒人の相対的に低い地位の調査や、その現状に対する一般のニアセン信徒の意識などの微妙な問題は、調査できなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度はニアセン教団で最大の人数の信徒を要するナイジェリアの、ニアセンが最初に定着したカノで調査を行う。ナイジェリア、特にカノに関しては先行研究が多く、これらの文献に見いだされる主な主題は次のようである。 ①主にハウサが居住するカノは、伝統的に西アフリカにおけるイスラームの学問の重要な中心地のひとつである。またカノのハウサ商人は西アフリカに広く商業ルートを持つ。従ってカノのハウサが西アフリカ諸国へのニアセン拡大に果たした役割は非常に大きい。 ②従来カノの宗教構造は、多数派のハウサ、ジハードによって支配階級となったフルベ、少数のベリベリとアラブの、部族的党派に基づいていた。しかしニアセンを受容した信徒たちの間には、民族を超えた接触や連帯意識が成立し、さらにイブラヒマ・ニアスが作った国際的なイスラーム共同体の一員という意識が生じた。 ③カノにはモーリタニアのように、イスラーム的な男女の隔離と女性の従属的地位という慣習がある。しかしニアセン信徒の女性の中には女性ムカッダムたちが存在する。女性ムカッダムたちは、女性の志願者をニアセン教団に加入させ、タルビヤを与え、また女性たち一般のイスラーム教育に大きく貢献している。 ④カノで、ラジオでコーランの朗唱を行うことか否かをめぐって論争が起こったとき、イブラヒマは、イスラームに寄与する限りにおいてすべての西洋的な科学技術は良いものであり積極的に受容すべきだという見解を示した。これがニアセン教団の基本姿勢のよりどころとなった。 このようにカノは、国境、民族、性別という境界の超越の問題、また近代科学文明の受容の問題というニアセン教団に根本的な問題が存在する場所として調査に値する。しかし政情の如何によってはナイジェリアでの調査が不可能になるかもしれず、そのような場合には、調査の主題は変えないが、調査地を南アフリカあるいはガーナに変更する。
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Research Products
(1 results)