2014 Fiscal Year Research-status Report
セネガル、ニアセン教団における境界の超越とアフリカ諸国への拡大の比較研究
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24401037
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
盛 恵子 名古屋大学, 文学研究科, 研究員 (30566998)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 西アフリカのイスラーム / ティジャーニーヤ / イブラヒム・ニアス / ガーナ / ハウサ / ワッハーブ主義 / アフマディーヤ / シーア派 |
Outline of Annual Research Achievements |
ガーナのイスラーム教育の中心地であるクマシとタマレで調査を行った。ガーナのムスリムは人口約2400万の約15%である。その70%がニアセンだという。ムスリムの割合は北部で高く、ガーナ第二の都市であるクマシでは、人口約200万人の約25%といわれる。 ガーナにはニアセンでないティジャーニー教団の分派が、イブラヒマ・ニアスの登場以前にすでに定着していたが、現在ティジャーニー信徒の大部分はニアセンである。1947年に、ニアスの腹心であるモーリタニア人シェイク・ハーディーがクマシを訪れ、ニアスの教えを宣伝した。ニアスは1952年に最初にガーナを訪問し、その後も頻繁に訪れた。クマシのBig 6と呼ばれる学者たちが国内にニアセンを普及させた。 ニアセンはセネガルでは革新的、時に異端的な少数派とみなされるが、ガーナでは正反対に、昔からあるティジャーニー教団の伝統の継承者、正統的な多数派とみなされている。セネガルのティジャーニー教団内部では、ニアセンの「神を知る」ための訓練タルビヤの正統性を巡る批判が生じたが、ガーナのティジャーニー教団ではそれは生じなかった。しかしガーナのニアセンでタルビヤを実践する割合は、信徒の半数以下と低い。また、セネガルのニアセンでは厳禁される太鼓と歌と踊りを儀礼に導入する集団が興り、青年の人気を博している。 多数派としてのニアセンの地位は、他のイスラーム集団によって脅かされている。ガーナには1930年代にパキスタンからアフマディー教団が、独立後はガーナの外交政策の結果として、サウジアラビアのワッハーブ主義とイランのシーア派が入った。これらの集団は豊富な資金を背景に、西洋教育に乗り遅れ貧困に陥っているガーナのムスリムの子弟のために学校を建て、奨学金を提供する組織的な活動を通じて、宗教的イデオロギーを広めているが、ニアセン側にはこれに対抗する組織と資金に欠ける。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
おおむね順調に進展していると思われる。ガーナは初めて調査する国だったので、まず実情の概要を知る必要があった。キリスト教徒優位の社会でムスリムは少数派であり、民族構成が複雑であること、独立後も伝統的首長制が存在するので、ガーナのムスリムはイスラームに対する帰属意識と同時に、自分の民族とその伝統に強い帰属意識を持つこと、ハウサの移民あるいはガーナ国籍を持つその子孫たちが、ガーナのイスラーム界で宗教的のみならず政治的にも大きな影響力を持っており、ダゴンバをはじめ現地のムスリム諸民族はそれに反感を持つこと、ガーナの外交政策に伴って、サウジアラビア、エジプト、イラン、リビアなど経済的により豊かな国から、経済援助や、後進地域の発展プログラムを推進するNGOと抱き合わせで、イスラーム諸派の思想が政策的にガーナに移入されており、それらがニアセンの優位を脅かすことなど、ガーナのムスリム社会とその中に置かれたニアセンの状況に影響を及ぼし複雑にする要因は数多く存在する。ガーナのニアセンの状況を特徴付ける複雑さが明らかになった点において、各国におけるニアセンの比較というこの研究の目的は達成できた。 しかし指導者たちは公式的・中立的見解の代弁者であり、さらに進んでイスラームの信仰そのものに関わる内面的な問題に話題が至ることは稀である。私は宗教観というより深いレベルでの各国比較も行うことが望ましいと考えるので、可能な限り一般のニアセン信徒との接触に努めたが、結果的には十分に多くの機会が得られなかった。これは主に、3ヶ月という調査期間の時間的な制限に由来した。
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Strategy for Future Research Activity |
世界で最大数のニアセン信徒を要するナイジェリアの、ニアセンの創設者イブラヒマ・ニアスが最初に訪問して成功を収めた都市であるカノにおいて、宗教的訓練タルビヤが信徒によって実践される実態、それを通じて信徒が達成する宗教的境地とその意味づけについて、またニアスの教えの中に含まれる女性の宗教的地位の向上、すなわち女性の宗教指導者ムカッダムの存在とその活動、男性だけでない女性の宗教活動への参加の実態を調査する。また、ニアスの提唱した平和主義やムスリムの連帯、民族人種の差異の克服などの主題について、それがどのように受容され、実践されているかを調査する。カノはハウサの都市なので、ハウサにおけるニアセンの実践の調査となる。ナイジェリアにはハウサ以外の民族のニアセン信徒も多いが、今回はハウサに焦点を絞る。 今回調査したガーナでは、一般に、ナイジェリア起源のハウサの学者が、学識や権威において、土着のムスリムであるダゴンバやゴンジャなどの民族の学者に勝っているので、ムスリム社会ではハウサの慣習が行われている。ガーナで女性が宗教的に指導権を発揮しないのは慣習であると、現地のニアセン指導者は説明した。しかし文献によればカノでは、ニアセンの女性のムカッダムたちが存在し、女性たちにイスラーム教育を与えるなど、ニアセンの普及に重要な役割を担っているという。ニアセン信徒における女性の問題は、特に注目したい。 2014年11月にボコ・ハラムが、カノのイスラーム的長エミールであり、中央モスクのイマームでもあるラミド・サヌスィが彼らをカーフィル(不信心者)と呼んで全面対決を表明したことに対する報復として、カノの中央モスクを攻撃した。ラミド・サヌスィはティジャーニー教団に属すので、カノに滞在することが長期的に不可能になるかもしれず、その時は調査国の変更を余儀なくされる。現在その候補はいくつか考えてある。
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Research Products
(2 results)