2015 Fiscal Year Research-status Report
セネガル、ニアセン教団における境界の超越とアフリカ諸国への拡大の比較研究
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24401037
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
盛 恵子 名古屋大学, 文学研究科, 研究員 (30566998)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 西アフリカ / イスラーム / スーフィー教団 / ティジャーニー教団 / イブラヒマ・ニアス / ガーナ / ハウサ / 伝統的首長制 |
Outline of Annual Research Achievements |
ティジャーニー教団の分派ニアセンの創設者イブラヒマ・ニアスは植民地主義を最大の敵と見なし、それに対抗するためには汎アフリカ的、汎イスラーム的な団結が必要だとした。アフリカのムスリムはアフリカのキリスト教徒とも連帯すべきであり、またムスリム共同体はコーランとスンナを堅持しつつもその多様な解釈を許容し、解釈の相違による内紛を避けよと彼は説いた。しかしガーナのニアセン信徒の内部には、植民地主義の負の遺産とみなされる民族間対立が存在する。 イギリスは間接統治のためにガーナの伝統国家を温存し、独立後も伝統首長制は残った。首長は土地所有者・政治家であり、諸民族は伝統首長の臣民としての民族アイデンティティーを持つ。外来の民族であるワンガラとハウサが、植民地化以前のガーナにイスラームをもたらした。ガーナにおけるニアセンの普及は、1952年のニアスのクマシ訪問から始まった。19世紀にイギリスは兵士や警官としてナイジェリアから多くのハウサをガーナに移住させ、植民地経済の発展に伴い周辺諸国から移民がクマシに流入した。ハウサは商才とイスラーム学の知識に優れ、今もガーナ在来のダゴンバ、ゴンジャ等のムスリムに対して経済的・知的優位を保つが、在来民族はこれを外国人による支配と見なして反発する。クマシのあるニアセン指導者は「宗教訓練タルビヤの時に人は神の唯一性を体験するが、日常生活に戻ると再び喧嘩を始める」と語った。現在クマシのムスリム共同体は50以上の民族から成るが、共同体の長サルキン・ゾンゴの地位はハウサが占有する。1960年代にニアセン信徒の間で、在来民族集団がクマシ中央モスクのイマーム補佐として推したダゴンバの学者をハウサ集団が拒否する事件が生じ、その解決には時の大統領の仲介を要した。今クマシでは在来民族の長たちが中心になってひとつの組織を結成し、ハウサからリーダーシップを奪還しようと試みている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本課題では4年間でセネガル、モーリタニア、ナイジェリア、ガーナの現地調査を行う計画だった。セネガル、モーリタニア、ガーナでの調査は順調に進めることができたが、ナイジェリアのカノでは調査を行えなかった。その理由は、ボコ・ハラムの破壊活動による治安の悪化である。カノは、本課題の調査対象である、ティジャーニー教団の一分派ニアセンにとって、重要な中心地の一つである。ナイジェリアは西アフリカ最大のムスリム人口を擁し、ニアセン信徒の人数も世界最大である。私は平成24年にセネガルで、カノから来ていたナイジェリア人巡礼団の人々から、カノの治安は安定していると聞いた。しかし平成26年にボコ・ハラムの活動は活発化し、ボルヌ州で女生徒の集団誘拐事件が起こったことを機に、国際社会はボコ・ハラムに対する武力行使の可能性を検討した。これが実現すればボコ・ハラムは遠からず壊滅すると、この時点では予想されていた。しかしカノのイスラーム的長を標的としたモスクの爆破も起こり、またイスラム国(IS)の勢力拡大とそれに伴う諸問題が深刻化したため、ボコ・ハラムに対する有効な対策は取られておらず、現時点では北ナイジェリアの治安回復のめどは立っていない。この課題におけるナイジェリアの重要性を考慮して、情報を収集し情勢を見守ることによって調査の可能性を探り、また平行してナイジェリアに代わる調査国の候補を選定する必要があったため、私は平成27年度に科学研究助成事業補助事業期間の延長申請を行い、承認された。研究期間が1年伸びたので、現時点での進捗状況はやや遅れているというべきだが、しかし平成28年度にはおそらく南アフリカで調査を行うことになる。文献と今までの現地調査で得た情報によれば、南アフリカにはナイジェリアとは別の興味深い問題があることがわかっているので、調査地の変更はこの課題全体としての達成度を損なわないであろう。
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Strategy for Future Research Activity |
ナイジェリア情勢に進展がなければ、最終年度は南アフリカ共和国のケープタウンで調査を行うことになるだろう。南アフリカのムスリムは人口の約2%と少ないが、ケープタウンは国内最大の人数のニアセン信徒を擁する。調査の目的は、英語圏へのニアセンの拡大と、イスラームを通じた民族間の新しい交流の成立となる。イブラヒマ・ニアスは、腹心の学者アリュー・スィセと自分の長女との間の息子であるアサン・スィセをイギリスに留学させて英語を学ばせた。アサン・スィセは、英語圏アフリカだけでなく合衆国でも布教を行い、また英語で著作活動を行った。ニアスの主要な著書やニアセンの学者たちの著書の出版は、セネガルでは行われることなくナイジェリアのカノで行われたが、今では合衆国のアトランタに出版社があって、ここではアラビア語の書籍だけでなく、ニアセン信徒となった白人の学者によるニアスの著作の英訳本や研究書をネット通販している。 南アフリカにはオランダ植民地時代に、インドネシアやマレーシアからムスリムの政治犯と奴隷が連れてこられた。のちにインドのグジャラートからも、ムスリムが連れてこられた。彼らアジア人が南アフリカの最初のムスリムであり、彼らは強固な共同体を形成した。アサン・スィセは2002年と2003年にケープタウンで布教を行い、アジア人ムスリムと黒人居住区に住む黒人の両方に信徒を得た。その後、彼の甥にあたるモール人の学者が布教を受け継ぎ、信徒を増やしつつある。黒人居住区の中には宗教儀礼のための施設ザーウィアが建設され、アジア人のニアセン信徒の一部もそこに通うようになり、従来交流がなかったアジア人とアフリカ人との間に相互理解が生まれつつある。またイスラームに改宗しニアセンとなった黒人居住区のアフリカ人は、ニアセンで厳禁される飲酒と喫煙を絶ち、義務である毎日の儀礼を行うことを通じて、犯罪から遠ざかりつつある。
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Causes of Carryover |
調査予定地の治安の悪化によって、調査を一年延期したため。本年度はナイジェリアのカノにおいて調査をおこなう予定だったが、破壊活動をおこなう集団ボコ・ハラムの勢力拡大によって、調査地に渡航できず、延期を余儀なくされた。カノに近いボルヌ州での女子生徒誘拐、カノのイスラーム的長を標的としたモスクの爆破、誘拐した少女たちを操っておこなう爆弾殺傷といったことがボコ・ハラムによって引き起こされ、また、彼らはISへの忠誠を誓ってもいる。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
急速に治安が回復すれば予定通りナイジェリアに行くことができるが、現時点ではほぼ無理であると考えている。よって調査地を南アフリカ共和国に変更する。2016年秋以降の1ヶ月半の期間の渡航を予定している。必要経費の大半は外国旅費である。航空運賃は40万であり、南アフリカの物価はヨーロッパ並みに高いので、滞在費40万、図書・地図・役所資料等の設備備品費と写真・録音機材等の消耗品費に30万、謝金に10万、また通信費と国内の交通費に10万が必要であると予想される。
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Research Products
(3 results)