2014 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
24520124
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Research Institution | Setsunan University |
Principal Investigator |
岩間 香 摂南大学, 外国語学部, 教授 (50258084)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 内裏 / 土佐派 / 障壁画 / 寛政 / 復古 / 大坂 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は近世中・後期の禁裏絵所預土佐家の画業と再評価を目的とする。最終年度は土佐派の中でもとくに、大坂を拠点に活動した絵師について明らかにすることを目的とした。そのために寛政度内裏造営の記録である「御指図御用記」の記述から、障壁画に携わった土佐家の弟子を抽出し、画伝書などから大坂の絵師を特定した。大阪府下の文化財調査報告書などを用いてそれらの絵師の作品の所在を調査した結果、桃田三笑と、佐野龍雲の作品を見出した。桃田三笑は内裏の西対の屋五ノ上段絵を仰せつけられていたが、病気のために辞退し、同門の鵜飼大之進が起用された。三笑は現存作品を見る限り土佐派の画風や画題を描いているとはいいがたかった。ほかに「御指図御用記」からは桃田栄雲の名も見出したが、この絵師は文人画の日根対山の師、狩野派、土佐派とさまざまに伝えられている。土佐門人として内裏の仕事をしているものの、土佐との関係は希薄であると考えられた。一方佐野龍雲は東対屋の杉戸に列女伝、常御殿の杉戸に中国の偉人像を描いており人物唐絵を得意としたことが推定できる。今回、調査の結果、龍雲の「住吉図」屏風を見出した。住吉浜の遊楽を実景に忠実に描いたもので、「勅許法橋龍雲図画」の落款を有していた。景観年代を細かく検討した結果、1798~1802年に限定でき、このころ法橋に叙せられていたことが判明した。龍雲の描く人物風俗も、土佐派を思わせるものは無かった。 以上の結果から、土佐派は18世紀には経済都市大坂に門人を有し、それらの中には内裏障壁画を描くほど有力な弟子がいたことが判明する。しかし現存する作品からは土佐派の画風を見出すことはできなかった。あるいは禁裏の仕事に入り込む方便として、土佐と結びついた可能性も否定できない。今後も大坂における土佐派絵師の調査を継続し、その流派体制を解明していきたい。
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