2012 Fiscal Year Research-status Report
20世紀ドイツ語圏における文学と映画の相互関係についての考察
Project/Area Number |
24520353
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
山本 佳樹 大阪大学, 言語文化研究科(研究院), 准教授 (90240134)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 独文学 / 映画 |
Research Abstract |
平成24年度は、1920年代のトーマス・マンと映画の関係を中心に研究を進めた。 まず、当時の思潮的背景をなす〈映画論争〉について、資料を収集・分析した。ドイツ語圏では、1910年前後から1930年前後にかけて、多くの知識人が関与して、映画の影響力やその芸術性をめぐって賛否両論の激しい議論が繰り広げられた。これが〈映画論争〉と呼ばれる現象である。〈映画論争〉は、教養市民層の代表性のメディアとしてその階級意識に深く根をおろしていた文学や演劇という制度の地位を、映画という新興勢力が大きく揺るがしたことの証左であったが、その一方で、作家たちにとって映画は、脚本の執筆や自身の作品の映画化によって名声や収入を得るチャンスにも見えた。本研究では、多くの文献や資料にあたることにより、〈映画論争〉の諸論点を、大都市の知覚心理学、大量生産される商品としての文化、言語への懐疑と映像の直接性への憧れ、文学生産・受容への映画の影響、などに整理した。 続いて、この〈映画論争〉のなかでのマンの位置づけを検討した。『魔の山』(1924年)の映画エピソードの分析、映画についてのマンの発言、映画に対するマン自身のさまざまな―観客・検閲官・脚本家・原作者としての―立場といったさまざま観点から、猛烈な勢いで躍進してきた映画メディアに彼が公私ともに激しく巻きこまれていく様子を、多面的に捉えようと試みた。マンは当初は映画を軽蔑していただけであったが、1920年代初頭からしだいに映画への言及が見られるようになる。映画を良くも悪くもアメリカ的・民主主義的なものの象徴だとすることが、〈映画論争〉のひとつの思考パターンであったことを考えあわせれば、マンの映画への接近と共和制擁護への転向の時期との符合が気になるところであり、その関連性を探った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
平成24年度は、当初の予定では、マンのアメリカ亡命時代を中心に研究する予定であったが、やはり時代を追って歴史的に見ていくことが必要であると気づき、マンが映画について発言し始めた時期である1920年代におけるマンと映画の関係を考察することになった。この時代の思潮的背景をなす〈映画論争〉について、ベルリン映画博物館およびポツダム映画博物館等で関係資料を収集できたことは、本年度の成果のひとつである。加藤幹郎監修/杉野健太郎編著『交錯する映画―アニメ・映画・文学』(ミネルヴァ書房、2013年)に寄稿した論文「ハンス・カストルプの映画見物―トーマス・マンと〈映画論争〉」では、〈映画論争〉の諸論点をふまえつつ、この時代のマンと映画とのかかわりを、『魔の山』の映画エピソードの分析、映画についてのマンの発言、映画に対するマン自身のさまざまな―観客・検閲官・脚本家・原作者としての―立場といったさまざま観点から、多面的に提示することができた。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、1930年代以降のトーマス・マンと映画の関係について、ドイツ時代(1933年まで)、スイス亡命時代(1933-1938年、1952-1955年)、アメリカ亡命時代(1938-1952年)のそれぞれの時期に分けて調査を進める。とりわけ、ハリウッド近郊のパシフィックパリセーズに居を構えていたアメリカ時代については、映画鑑賞やハリウッドの映画人との関係といった側面から、映画を軸としてマンの亡命生活の再構成を試みたい。また、同時代の他の作家(ホーフマンスタール、シュニッツラー、デーブリーン、カフカなど)の映画との関係についても、文献を収集・分析し、マンとの比較を試みる。 さらに、本研究は、文学作品の映画化という問題も射程に収めている。マンの場合であれば、『ベニスに死す』(1971年)のような映画だけでなく、マン一家についての伝記映画『マン家の人々』(2001年)なども対象に含める。メディア論的視点や、映画化された時代の社会・政治的力学をも考慮しながら、広く文学作品の映画化の問題を考察していく。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
平成25年度は、ドイツ時代(1933年まで)とスイス亡命時代(1933-1938年、1952-1955年)を中心に、トーマス・マンと映画との関係についての研究を進める。そのため、ドイツ(この時期にマンが住んでいたミュンヒェン)とスイス(マンが亡命していたチューリヒ)への調査旅行を計画している。マンが観たことが判明した映画については、作品名、鑑賞日、観賞場所、マンのコメントなどをまとめたデータベースを作成する予定であり、そのためのパソコンソフト等を購入する。また、同時代の他の作家の映画に対する関係や、文学作品の映画化といったテーマについても、広く文献や映像資料を収集していく。
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