2012 Fiscal Year Research-status Report
中世ブリテン史における貨幣製造人の「世界」-C.973年~1279年-
Project/Area Number |
24520834
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Kumamoto University |
Principal Investigator |
鶴島 博和 熊本大学, 教育学部, 教授 (20188642)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | 「moneyers」 UK / 「Domesday Book」 UK / 貨幣製造人 / mint / 原ジェントリ / 受容体 / 信用 / スターリング |
Research Abstract |
ヨーロッパにおいて、イングランドは973年以後、一貫して国王大権のもとに、一定品目と質を保証したペニー銀貨を定期的に改変しなががら発行し続けた唯一の王国といってよい。この銀貨は14世紀にはスターリングとも呼ばれ一つの基準通貨の地位を獲得するのである。しかし、初期の貨幣製造人の実態に関しては、具体的なことは不明な点が多かった。24年度においては以下のことを明らかにして、イングランドに本国においてもその貨幣研究に新たな知見を提供した。(1)従来貨幣学は歴史学とは一線を画し、貨幣そのものの形態、様式、重量などに分析の主眼がおかれ、文字資料は副次的に使われることが多かった。とくに『聖人伝』はあまり使用されることはなかった。本研究では、11世紀から12世紀にかけての『聖オーガスティンの奇跡物語』を導きの糸として、そこから家族で移動する職人とその銀加工技術の高い水準を明らかにした。そして、他の多数の史料を用いてこの家族のプロソポグラフィカルな解明に成功し、その社会的上昇を明らかにした。またカンタベリーのセント・オーガスティン修道院は、従来1名の貨幣製造人しか明らかになっていなったが、さらに4名の存在を明らかにした。(2)ミントと呼ばれる貨幣製造所が工房のようなものではなく、人の集団でありそれが移動していること、さらにその集団の名前は従来は貨幣製造人の名前と考えられていたが、一種のブランド名であることを明らかにした。(3)イングランドのペニー貨の特徴は973年から16世紀まで、95%にもなる高い銀の含有量を誇るその質にあった。それが流通した理由の一つであるが、同時に「受け手」の側がその質を信用する根拠があった。それが貨幣製造人である。彼らは地域社会の有力者、原ジェントリ的存在で、州裁判集会などで紛争解決や納税の中心的存在であった。彼らへの信用が通貨の担保であったのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
研究の目的の成果として刊行した論文、Hirokazu Tsurushima, ‘The moneyers of Kent in the long eleventh century’, in David Roffe (ed.), The English and Their Legacy 900-1200, Boydell , 2012 , pp. 33-59で24年度の目的は達成されたと判断している。この論文で使用した史料はいずれも英国の古銭学者が、使用したことのないもので、その内容に関してはかなりの評価を得た。その判断材料としては、この論文によって、古銭学に関する英国の権威ある全国学会誌に応募された論文の評価を依頼されたこと(個人情報に関することなのでこれ以上の詳しい叙述はさける)をあげることができる。また。その他の英国の学者からのこの論文に対する評価からしても、10世紀から12世紀の貨幣製造人の解明と同定に関して、研究上かなりの進展をみたと判断にしている。これが上記区分の理由である。
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Strategy for Future Research Activity |
793年以降のイングランド王権が、うち型を統制し、王国通貨とも呼べる高品質の銀貨の継続的かつ大量の発行し、さらには定期的なうち型交換による、新旧貨幣の交換を可能にしたことは、イングランド王国の強力な行政国家としての指標と考えられてきた。しかし、貨幣は、それを製造する権力の視点からだけではなく、それを受け入れ使用する側=「受容体」の側からも検討しなくてはならない。しかし、従来の貨幣史研究は、権力の視点からのみ研究され、「受容体」の構造的特質について検討されてこなかった。イングランドには、10世紀には王権の命令を受け取る、有力者=セインと彼の領域的なアイデンティを保証する地域共同体が形成されたのである。これは、地域共同体が解体し伯領を形成した大陸フランク国家とは別のベクトルであった。イングランド王権がフランクの帝国的権力意識を継承していったのも、こうした「王の肖像をもつ良質の貨幣」を「税」としておさめる「地域有力者」の存在があってこそである。それ故、王権は良質の銀貨を発行し続けなければならかった。「受容体」からの「信頼」を失うことは、王国解体の危機を意味したのである。しかし、良質の銀貨を発行し続けるのには、大量の銀の流入がなければならない。8世紀から9世紀にかけては、西フランクのメレの銀が流入したが、9世紀にはサファビー朝の銀がボルガ川―バルト海経由で「ヴァイキング」の手によってもたらされたものと思われる。 そこで今後以下の3点を貨幣製造人の視点から実証的に解明していく。(1)9世紀から10世紀に銀が現在のヨーロッパ北部に大量に集積した可能性。(2)この銀の流入が、枯渇し始める960年ごろにドイツ銀が発見され、イングランド帝国は、まさにこのドイツ銀をベースにしてその確立期を迎えたこと。(3)中央アジアの銀の枯渇は、ヴァイキングをイングランドに再度向かわせ、北海帝国を形成したこと。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
(1)旅費(海外)。その目的は、継続してきたロンドンの大英博物館とケンブリッジのフィッツ・ウィリアム博物館での貨幣の分析(タイプ、重量、ミント、貨幣税人リストの作成と確認)とデータ・ベースの作成すること。また、フランス、メレの銀鉱山跡地とザクセン銀山跡地の訪問し、それらの場所の空間的構造を確認し、同時にそこでしか得ることのできない資料(史料)を収集することである。時期としては夏季(8月から9月)を考えている。 (2)旅費(国内)中世ヨーロッパ貨幣史研究会での研究成果の報告。時期としては秋季を考えている。 (3)銀の含有量を図るためのサンプルの購入。とくに、シャット貨と英仏海峡のフランス側のイングランド型ペニー模造貨の質の検証を行うため。ただし、これは、費用のこともあり、個体の定性分析にとどめ、サンプルは、状況に応じては、完全なものである必要はなく、含有量の分析ができれば、タイプ(製造の時期)さえわかれば破片でも十分である。 (4)研究推進方策に必要な文献と史料の収集。
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Research Products
(4 results)