2013 Fiscal Year Research-status Report
生殖の倫理をめぐる言説における「生命」及び「人格同一性」概念の分析
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24610009
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Research Institution | Meiji Gakuin University |
Principal Investigator |
加藤 秀一 明治学院大学, 社会学部, 教授 (00247149)
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Keywords | 生命 / 人格 / 存在 / 非同一性問題 / 生殖 |
Research Abstract |
前年度における「人格の同一性」に関する哲学的議論、特に実験哲学と呼ばれる潮流に棹さす議論の検討作業を継続しつつ、本年度はその成果を整理する作業にも着手し、まずはその端緒として、「生命」や「いのち」という概念を〈人々の形而上学〉というパースペクティヴにおいて分析することの意義に関する論考を『明治学院大学社会学・福祉学研究142』に発表した。 他方、昨年度の「今後の推進方策」にも記した通り、今年度からは、主にアメリカ合衆国におけるいわゆる「ロングフル・ライフ(wrongful life)訴訟」の代表的な判決文を、社会学的な概念分析の方法によって分析する作業を再開した。ロングフル・ライフ訴訟とは、生まれた子自身の名において行われる、当人の出生をもたらした医師に対する損害賠償請求である。すなわち、自分を出産する以前の母親に対し、生まれてくる子が先天的障害を負うリスクを医師が正しく予測し母親に伝えていれば、母親は出産を思いとどまり、自分は出生して苦しい生を甘受することを強いられずに済んだであろう、しかるに医師がそうした職務を怠ったが故に自分は生まれてしまったのだから、そのことに対する損害賠償金を支払うべきだ、というのがロングフル・ライフ訴訟の核となる主張である。 これは、障害や難病を抱える人に関わる「生むこと/生まれること」をめぐる生命倫理学的議論全般にとって興味深い問題であると同時に、損害という概念の前提となる「生まれた場合と生まれない場合との比較」は有意味なのかというすぐれて哲学的な論点にも触れており、裁判においてもその点が繰り返し問題にされてきた。申請者はかつて学会報告、論文、一般向け著作(2007)においてこの素材を検討したが、今回はその後の新たな情報をも織り込みつつ、社会学的概念分析の方法に依拠しながら、より丹念に各判決文を分析する作業を進めている。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
拙著『〈個〉からはじめる生命論』(2007)やそれに先立つ学会報告および論文の主題であったロングフル・ライフ訴訟の分析を再開することができたことが今年度の収穫ではあったが、これは当初計画に照らせば昨年度中にある程度まで進めておくことを目論んでいた課題であり、研究計画の推進がやや難航している。 その第一の理由は問題自体の困難さ・複雑さにほかならない。ロングフル・ライフ訴訟の判決においては、哲学の領域において「人格の同一性」とりわけ「非同一性問題」と呼ばれているテーマをめぐってしばしば非常に高度な哲学的議論が行われており、それを正確に理解したうえで、裁判が位置付けられるところの法的・社会的文脈と関連付けてそれを評価することは、申請者にとってたやすい作業ではなく、想定以上の時間を費やしている。また、第二に、前掲書等の執筆当時にはまだ明確ではなかった視野――すなわち、「人格の同一性」と「生命」という二つの概念の関連性――およびより明確な方法意識――すなわち、〈人々の形而上学〉を把握・理解することをめざす社会学的概念分析――の下に、前掲書では扱わなかった資料をも対象として分析全体をスケールアップすることを目指して課題に取り組んでいることも、作業の進行を当初予定よりも遅らせる要因となっている。
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Strategy for Future Research Activity |
「人格同一性」と「生命」という両面をなす課題のうち、初年度に引き続いて第二年度でも概ね前者に傾注することになった。昨年度は、徐々に後者にも注力していくことを計画していたが、その後、若干の変更を行うことになったためである。すなわち昨年度まで、申請者は、上記の二つの概念をさしあたり別個のものとして把握した上で、両者の関係を考えるという構えをとっていた。しかるに現時点では、「人格の同一性」(=誰が存在するのか)をめぐる〈人々の形而上学〉の分析を通じて、そこにおいて「生命」や「いのち」という概念がどのように働いているのかを剔抉するという構えに移行したのである。 このことと関連して、昨年度の当欄では後者の課題を「生命概念の歴史的分析」と記していたが、現時点ではさしあたり「歴史」という限定を外し、今日のアクチュアルな生命倫理的問題群(「ロングフル・ライフ訴訟」はその一つである)に分析対象を絞り、より具体的かつ詳細な分析を目指すことにした。「研究課題」の文言にも記した通り、本来はこのような方向性こそが本研究の主旨に沿うものである。ただ昨年度は、今日的問題を扱うための準備作業として、「生命」概念をめぐるM. Foucaultおよび彼以降の科学史的研究成果のインパクトを受けつつ、「生命」概念の歴史的変位を追うという課題を前面に出していたのである。しかるに今年度は、それはむしろ本研究が一定の成果を得た上で改めて着手されるべき課題であるというスタンスをとることになった。 したがって今後は、引き続き「ロングフル・ライフ訴訟」の一次資料を緻密に分析することを通じて、生命そのものと人称的存在者との関係をめぐる〈人々の形而上学〉レベルの諸問題(誰が存在するのか、生命それ自体とは何か、生命それ自体に価値があるのか、等)を考察していく作業を中心とし、関連する生命倫理的問題の調査と哲学的議論の精査を進めたい。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
昨年度は参加すべき学会が少なく、今年度(最終年度)に複数の学会出張を予定していることから、そのための旅費を残す必要があったため。 南米、北米、欧州で開催予定の生命倫理や生権力をテーマとした学会に参加するための費用として利用する予定である。
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