2012 Fiscal Year Research-status Report
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24617004
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Hitotsubashi University |
Principal Investigator |
藤野 寛 一橋大学, 言語社会研究科, 教授 (50295440)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | ドイツーユダヤ文化 / ウクライナ / オーストリア帝国 / 異文化共生 / 多民族国家 / カール・エーミル・フランツォース / 同化ユダヤ人 / 啓蒙 |
Research Abstract |
初年度にあたる平成24年度における本研究の目的は、なによりも、現在ではウクライナに属するところとなったチェルノヴィッツの街に足を運び、そこに身を置き、研究対象の現実をこの目で見、肌で感じることにあった。2012年9月に - かつてカール・エーミル・フランツォースがするのを常としたのと同じように - ウィーンからチェルノヴィッツまで汽車の旅をし、チェルノヴィッツに四泊五日の滞在をしたことで、この目的は達成された。 なにしろ、19世紀にこの町にドイツ-ユダヤ文化が花開いたときには、(オーストリア帝国の)国内旅行であったものが、今現在では、オーストリア→チェコ→ポーランド→ウクライナと四ヶ国にまたがる外国旅行と化しているのであり、シェンゲン協定によってヴィザ取得の手続きが不要になったとはいえ、この街をわれわれから隔てる距離はかつてよりむしろ拡大しているとすら言えるのである。 だからこそ、当地の「ユダヤ博物館」の館長で、チェルノヴィッツ大学で歴史学を講じておられるミュコラ・クシュニール教授と面識を得、チェルノヴィッツの歴史と現在について直ちに核心に迫る議論を交わす機会を持ちえたことは、本研究の今後の進展にとってまさにうってつけの研究者との関係を築くことができたという点でも、望外の成果であった。 なお、このチェルノヴィッツ研究の現時点における成果をひとまずまとめ上げることを目指して「「チェルノヴィッツ」考」と題する論考を執筆したところ、『思想』(岩波書店)の2013年第3号(No.1067)に掲載された。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は18世紀後半から20世紀前半にかけてのおおよそ170年間、チェルノヴィッツの街に歴史上類例を見ない形で花開いたドイツ-ユダヤ文化の実態への関心によって支えられているものである。 実際に、2012年のチェルノヴィッツの街に身を置いて直視せざるをえなかったのは、この多文化共生が遠い過去に属するものとなっているという現実だった。20世紀後半にソ連に属した約50年の時を経て、今やチェルノヴィッツは、すっかりウクライナの街と化してしまっていたのである。表面的には、この街の現在に、多文化共生を見て取ることは容易ではない。 その結果、ひとたび実際に現地に旅する経験をして、この街との地理的隔たりは一挙に小さいものとなり、今後この街に旅すること自体は申請者にとっていかなる問題でもなくなったが、知的・心理的にはこの街との隔たりはむしろ拡大してしまった面の否みえないものがある。この点での建て直しの必要を痛感している。 単なるノスタルジックな関心の対象にとどまることなく、本研究をアクチュアリティを具えるものとするためには、一つに、とりわけ20世紀後半から現在に至るソ連時代・ウクライナ時代におけるこの街の歴史と経験に研究関心を広げる必要があると同時に、加えて、概観の域を超え出てより深く個別の研究対象に分け入る実証的研究姿勢が要請されると考える。 その意味で、本研究は、期待以上の進展を見せていると同時に、より本質的な課題に直面し困難さの度合いを増している、とも言える。
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Strategy for Future Research Activity |
申請者が所属する研究科に、ウクライナからの留学生が在籍し、彼女の父がチェルノヴィッツ生まれ、祖母と叔母は現在もチェルノヴィッツ在住であるという事実が判明した。(この留学生自身、子供時代には、祖母を訪ねて何度かキエフからチェルノヴィッツに行ったことがあるという。)この偶然のおかげで、平成25年度、再度チェルノヴィッツに出張し、彼女に通訳として手伝っていただいて現地の関係者から聞き取り調査をすることが可能となった。これを是非実現させたい。 具体的準備として、インタヴュー対象を見出し、場合によっては絞り込む作業をしなければならない。チェルノヴィッツだけでなく、リヴィフ(オーストリア帝国時代のレンベルク)にも調査範囲を広げる必要性が出てくるかもしれない。 その目的は、第一に、1944年から1991年までのソ連時代にチェルノヴィッツがどのような街であったのか、そこで何が起こったのかを調査・研究することであり、第二に、1991年から今日に至るウクライナ時代に、異文化共生の過去の再発掘、それへのアクセスという点で、どのような試みがこの街でなされてきているのかを明らかにすることである。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
該当なし
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Research Products
(2 results)