2013 Fiscal Year Research-status Report
ディオニュソスを中心としたギリシア・ローマ図像のアジアへの伝播・吸引の研究
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24652135
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Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
芳賀 満 東北大学, 高等教育開発推進センター, 教授 (40218384)
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Keywords | ギリシア・ローマ美術 / ヘレニズム文明 / 仏教美術 / ガンダーラ / 異文化交流 / 出家踰城図 / 女神テュケー / トロイの木馬 |
Research Abstract |
地中海域から中央アジア・インド北西部に伝播したギリシア・ローマの神々の図像データベースを作成した。それ自体は単なる事実の羅列的提示でしかないが、そこから改めて読み取れることは、仏教美術が東側の吸引力の源であることである。 そこで釈迦の生涯でも一番重要な転機であり、釈迦が愛馬カンタカに乗って都城カピラヴァストゥを出る「出家踰城」の場面にギリシアの女神テュケーが表されている事例を対象に研究を行った。その結果ギリシアの視座に拠ったテュケー図像の新解釈を提示するに至った。 即ちガンダーラの「出家踰城図」に表された城壁冠を被る女性像は、従来は都市の守護女神(nagara-devata)でギリシアの都市の守護神テュケーと比定され、都城カピラヴァストゥの象徴と解釈されてきた。この説に反対はしない。しかし従来は女神の機能は事案の場所を示すだけとされそれ以上の考察はなかった。 本研究では先ず図像学によってテュケーの表された「出家踰城図」を、テュケーと釈迦の位置関係から右タイプと左タイプの2つに分類できることを初めて示した。さらに内容から、前者は過去タイプ、東タイプであることを経典『ラリタヴィスタラ』から示し、後者は未来タイプ、西タイプであることをテュケー起源の西方ギリシア・ヘレニズム世界におけるこの女神の属性から示した。 つまりポリュビオス等に拠ればテュケーとは、アケメネス朝ペルシアからアレクサンドロス大王へと時代そのものを転換させるような「運命の劇的な転換」を司る当代切っての「強大な神」であった。したがって「出家踰城図」においては女神テュケーは、太子をして出城させ、仏陀をして宇宙を支配させる機能を有するのである。テュケーは、単なる都城カピラヴァストゥの象徴ではなく、釈迦の生涯における最大の「運命の劇的な転換」を司る「強大な神」として、釈迦を見守り寿ぐ存在として表現されていることが判明した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度の初めに、中央アジアを含むロシア語圏でインパクトのある学術雑誌Scripta Antiquaに論文を掲載した。 その内容を大幅に増やして改訂し、異なる視座から論述した論文を、仏教美術においてインパクトのある学術雑誌『佛教藝術』に年度末に掲載した。特に後者においては、テュケーが表された出家踰城図に2タイプがあることを初めて示し、且つ上述のようにそのタイプの典拠を、一つはヘレニズム時代のテュケーの属性に、もう一つは仏教経典に求め、それぞれの歴史背景を明確にした。 これらの研究の大きな成果として以下の4点が判明した。1)従来は仏教学と仏教美術史学に乖離があった。その一つの理由は、経典を根拠とした出家者の観点からの研究が主であるからである。これからは美術を根拠とした、むしろ在家の観点からの研究が必要であり、本研究はその視座からのものである。2)従来は仏教美術は、東洋の視座から解釈されてきた。しかしギリシア系仏教徒、特に在家信者も多かった筈である。これからは本研究のように、謂わば「青い眼」の仏教徒の視覚、つまりギリシア文明を知悉しそれを通じて見るギリシア系仏教徒の視座が必要である。3)従来は西から東へと図像が伝播したと強調されてきたが、東が西を選択的に吸引していることが判明した。東西文明の交流は、高い西から低い東へと流れ伝わるような「西高東低」なのではない。西の伝播力と共に、東の吸引力も認めるべきである。4)その吸引の最も強力な「磁場」が、仏教美術なのである。
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Strategy for Future Research Activity |
西から東に伝播したギリシア・ローマ神話の図像を一般的に渉猟する研究段階は過ぎた。今後は、西方の造形美術の吸引の「磁場」として仏教美術を特に対象とする。その観点から、既にディオニュソスとアリアドネ、スキュラ、テュケーを対象とした研究は完了しているが、それらの研究論文の中で既に言及したように、ディオニュソスとアリアドネの聖婚、特に酩酊したサテュロスの図像、ディオニュソスの従者たちといった図像と、仏経典との関係を中心にこれまでの研究をまとめる。特に、ディオニュソスを中心とした酒宴と性愛の場面と仏典、特に「正法念処経」における快楽の記述との関係の探求を進める。 つまり、東漸したギリシア・ローマ神話図像に関して、あくまで仏教経典や説話などの観点から研究を進め、そのような観点から、しかし出家者でない在家の観点を特に重視しつつ、いくつかの神話図像事例を探求し本研究の最終段階としてまとめてゆく。特に仏像が創造される以前の時代に於いては、ギリシア・ローマの神々は、インド仏教世界において、ギリシア・ローマの神々の姿をかりた「仏像」として、つまり「権現」として立ち現れたのであるとの仮説の妥当性を、今年度は示したい。 結局は、ユーラシア大陸における東西文明交流の軸は、ギリシア・ローマの神々が、インド仏教美術の求めに応じてその姿と権能を変容しその中に取り込まれてゆく過程であるとの仮説を最終年度を迎えての結論として示したい。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
ユーラシア大陸東西交流史において、黒海地方は、ギリシア圏に属する、東への「入り口」として極めて重要な位置を占める。 その黒海地方、特にクリミア半島の遺跡での調査を今年度後半は予定していた。クリミア半島が古代ギリシアと遙かに中国とを結ぶシルクロードの東西交流の要所であることは、その半島の遺跡から漢時代の中国漆器が出土したことからも明瞭である。また、研究代表者が前任校に籍があった時期に、前任校においてこの中国漆器の文化財科学からの考察と保存修復がなされていた。 しかしウクライナ・クリミア情勢の急激な悪化に伴い、現地調査を取りやめ、そのための調査費用や旅費が執行されなかった。 ウクライナ・クリミア情勢が好転することを前提として次年度計画を立てることはできない。したがって、次年度に同地での調査は行わない。しかし、アムステルダムの博物館で「クリミア半島展」が開催されているので、それを視察する。 但し、アムステルダムへの視察旅費は、黒海地方の遺跡調査に充当する予定であった予算よりは少ない。そこでその余剰分は、逆に十分ではなかった図書購入費へと充当する。その他も次年度に必要な経費として、次年度請求額と合わせて使用する予定である。
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