2012 Fiscal Year Research-status Report
狂気と寄食者――『ラモーの甥』読解を起点にしたディドロの非人間概念に関する考察
Project/Area Number |
24720160
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Research Category |
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
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Research Institution | Kobe College |
Principal Investigator |
大橋 完太郎 神戸女学院大学, 文学部, 講師 (40459285)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | ディドロ / ルソー / 狂気 / 寄食者 / 経済 / 音楽 |
Research Abstract |
今回の研究助成をもとに公表された研究業績としては次の二点が挙げられる。 ひとつは2012年9月に日仏哲学会秋季大会で開催されたシンポジウム「ディドロ哲学再考:生誕300年を迎えて」において招聘講演者の一人として、「ディドロと現代思想」という発表を行ったことがあげられる。ディドロ哲学の現代的意義を生誕300年を記念して再考するこの会合において、発表者である大橋は、ディドロ哲学の現代的意義を、フランスの現代哲学、とりわけミシェル・フーコーおよびジャン=フランソワ・リオタールとの関係において考察した。発表においてはディドロが提示した関係性に基づく唯物論哲学が、差異と主体化に基づいた今日の哲学的主流の批判として成立しうること、およびその批判点が今日にも続く資本主義的な体制への批判にとって不可欠なものとなることを示そうと試みた。第二の点においてはさらなる進捗が求められる結果となったが、生態学と経済学の狭間で機能する寄食者の構造の解析に向けて、理論的な基礎とそこからの展開の方向性を提示することはできたのではないかと思う。(この発表は、2013年度に論考として日仏哲学会の会誌に掲載されることが決定しており、その際に発表において不十分であった論点を補う予定でいる。) もうひとつの実績として、雑誌『現代思想』(青土社、2012年10月号)において、「寄食者たちのテーブル――食卓を囲むルソーとディドロ」という論考を発表したことがあげられる。本論考はルソーとディドロにおける食、とりわけ寄食の構造を比較して論じたものである。本助成との関係においては、寄食と社会的なものがもつ役割を明らかにすることができた点が大きい。食において空疎な言葉が果たす『ラモーの甥』は、本質的な生から阻害された人間の「経済的」な姿を示していることが分かる。 本年度の本研究は、上記の二点を主な実績として、順調に進展した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度は、上記の実績にも述べたように、まずリオタールの思考との関係を考えることで、ディドロの哲学における「非人間性」の具体的な側面とその現代的な意義が明らかになった。また、「寄食者」の構造の分析については、スタロバンスキ―の論考『パラジット』におけるルソーの寄食性の構造を踏まえた分析を行い、それとディドロの寄食の構造を比較検討することで、『ラモーの甥』における寄食の構造が社会的な階層関係やそれと共にある経済・資本の流通と深く関係していることが明らかになった。 以上の二点はいずれも研究計画の中で踏まえられる基礎的な作業ではあるが、次年度以降の進捗を考えた上で、今年度の基礎的作業がもたらす展開は大きいと考えられる。なぜなら、『ラモーの甥』の寄食の構造を考える際に経済・社会的要因の重要さが明らかとなったことで、十八世紀当時の実証的な社会史研究を本研究に組み込むことができると考えられるからだ。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の展開としては、まず、当初の研究計画にあった「狂気」についての分析を進めていきたい。とりわけ、当時の貧困と狂気の関係や、上層階級に見られる狂気の事例などを実証的なレベルで調べることによって、『ラモーの甥』で表わされている主人公の倒錯の度合いが測定できると考えられる。 もうひとつは、フランス哲学史の中でのディドロ受容についても研究を進めていきたい。今年度はフーコー、リオタール、あるいはスタロビンスキ―といった比較的新しい思想家におけるディドロ受容を考えたが、その大本にあるのは、イポリットやカンギレムといった彼らの全世代にあたるフランスの哲学的潮流である。彼らが受容したヘーゲル研究のオルタナティヴとして、ディドロ哲学のアクチュアリティが1950~60年代にかけて浮かび上がってきたのではないだろうか。資本主義的な体制の進展と同時に起こったディドロ再評価を単なる時代的な符号と考えることなく、哲学の批判的思考が展開した必然的な問題提起として考えることは、ディドロの思考の現代性を明らかにすることである。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
次年度は、まずフランスに渡航し、資料収集が必要となる。『ラモーの甥』が提起した寄食者像の重要性を知るためには、実証的なレベルで十八世紀の狂気と貧困の相を知ることが有益であるからだ。とりわけ新興貴族層の腐敗とそれに追従する無産階級に焦点を当てることで、寄食性の意義が明らかになると考えられる。 もう一点は、同じくフランスでの研究滞在を通じて、実証的なレベルで十八世紀の狂気の実態についても調査を行いたい。狂気と貧困が当時のフランス社会、とりわけパリを中心とした知識人サークルの中でどのような結びつきがあり、どのように考えられていたのかを知ることで、『ラモーの甥』を通じてディドロが批判しようとしていた矛先が具体的な姿を帯びることであろう。 上記のテーマで研究を進めることから、上の二つのテーマについての文献資料を収集する必要がある。また、海外において閲覧した資料を整理し、活用するために、持ち運び可能なコンピューターを一台用意できれば、研究環境がさらに向上すると考えられる。
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Research Products
(2 results)