2014 Fiscal Year Annual Research Report
近世後期日朝間における情報流通の研究―対馬藩宗家史料を素材として―
Project/Area Number |
24720314
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Research Institution | Kitakyushu Museum of Natural History and Human History |
Principal Investigator |
守友 隆 北九州市立自然史・歴史博物館, その他部局等, 研究員 (60610847)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 国際情報交換 / 韓国(朝鮮) / 中国(清) / 対馬 / 情報論 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、長崎県立対馬歴史民俗資料館(「宗家文庫」)、大韓民国国史編纂委員会(「対馬宗家文書」)など国内外に所蔵される対馬藩宗家の藩政文書の調査・研究を通じて、近世後期、海外で起こった事件の情報がどのようにして対馬口から日本に流入したかを明らかにするものである。 具体的には、現在日本史だけでなく東洋史・朝鮮史においても重要事件と評価されている中国(清)の太平天国の乱、朝鮮の丙寅洋擾などの情報が、清・朝鮮・対馬藩(朝鮮半島の倭館・府中の対馬藩庁・江戸の対馬藩邸)・江戸幕府のなかでどのように流通したかを解明し、近世後期の対馬口を中心とした情報ネットワークの歴史的位置づけを試みるものである。 本年度は、慶応2年(1866)朝鮮で起こった丙寅洋擾(フランス軍艦の朝鮮江華島侵略事件)に関する史料を中心に調査を行った。その調査・研究については、2014年12月14日の九州史学会日本史部会においてその成果を発表した。 対馬藩宗家は、幕府に対し、同藩の重要性をアピールするために、迅速に正確な情報を提供しようとしたことは、先行研究で言及されている。だが、慶応2年(1866)≪丙寅洋擾≫の情報については、独自に入手した情報の伝達を遅らせる、他藩(佐賀藩鍋島家)から情報を入手しても、それを幕府(長崎奉行)には伝えないなどの情報操作が確認できた。ただそれは、大島友之允(正朝)を始めとする当時の対馬藩庁は、幕府に朝鮮とフランスの紛争を調停させようとする強い意図があったためと考えられる。そのために情報操作が行われたが、≪丙寅洋擾≫と同年に起こった第二次幕長戦争とその最中に14代将軍徳川家茂が病没し、幕威が衰退したこと、つまり当時の政局は対馬藩と幕府との≪丙寅洋擾≫情報の受発信には影響を及ぼしていないと結論付けた。
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