2013 Fiscal Year Research-status Report
ビザンティン・ヘシカズムの歴史的研究─東方キリスト教神秘主義の起源と展開
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24720341
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Research Institution | University of Shizuoka |
Principal Investigator |
橋川 裕之 静岡県立大学, 国際関係学部, 講師 (90468877)
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Keywords | ヘシカズム / 神秘主義 / ビザンティン帝国 / パラマス / バルラアム / シナイのグリゴリオス / プロコピオス / プセロス |
Research Abstract |
当年度は全体の研究課題に関連して、以下に詳細を示す2項目の考察を行い、その成果の一部については国内の学術雑誌および学会にて発表した。 1.ビザンティン・ヘシカズムの起源と展開:ビザンティン・ヘシカズムについて、いまだ明らかにされていない問題は、それが具体的にいつ、いかなる経緯で修道士らによって支持、実践されるようになったのか、というものである。当年度は昨年度の考察結果を踏まえて、俗人学者ニキフォロス・グリゴラス以前のビザンツの霊的テクストを集中的に検討し、以下の暫定的な結論に達した。すなわち、13世紀後半より前の時期では、アトス山でヘシカズムを指導したとされる修道士ニキフォロスのほかに、身体技法を祈祷に取り入れたうえで神との合一的境地を目指した著名な修道士は一人も確認されず、ヘシカズムの起源については、イタリアからアトスに到来したと伝えられるニキフォロスが独自に身体技法を考案したか、ニキフォロス以前に一部の修道士らが非公式にその方法を編み出し、口伝によりそれを実践、継承していたかの、いずれかの可能性が有力ということである。 2.ビザンツにおけるキリスト教的伝統とヘレニズム的伝統の関係:ビザンティン・ヘシカズムをめぐる諸事象は、ビザンツにおけるキリスト教的伝統と非キリスト教的・ヘレニズム的伝統との関係を背景に、理解される必要があり、近年では、11世紀の哲学者ミハイル・プセロスが神秘主義的な実践に関心を示していたことも指摘されている。当年度は、昨年度に引き続き村田光司氏の協力を得て、本心からのキリスト教徒であったのか否かで研究者の見解がわかれている6世紀の歴史家、ケサリアのプロコピオスの『秘史』の翻訳および註釈に取り組み、その成果(全30章のうち、第11章-18章)を雑誌に発表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究第二年度に考察を予定していたのは、1330年代後半より生じた、ビザンティン・ヘシカズムの神学的・教理的妥当性をめぐる論争において、それを実践する修道士らを擁護・代表する論陣を張ったグリゴリオス・パラマスの人的ネットワーク形成を、彼自身の思想ないし神学的な発展過程との関連で把握することである。当年度、とくに注目した問題は、パラマスが世俗のキャリアを放棄し、コンスタンティノープルから西方の修道院への出立を決意した時点で、ヘシカズムがどの程度普及しており、パラマスが実践面でそれにどの程度のかかわりをしていたのかという点である。パラマスがアトスに向かった1310年代からヘシカスト論争が始まった1330年代まで、アトス山とその周辺に暮らした修道士についての具体的情報を多く含むのは聖人伝テクストであり、複数の聖人伝から、パラマスはとりわけ大ラヴラ修道院での暮らしを通じて、多くの修道士との交友を築き、後の論争で発揮された神学的教養と論理能力を習得したことを確認した。当年度は、本研究での閲読・活用を予定しているギリシャ語写本について、ヴァティカン使徒図書館およびヴェネツィア・サンマルコ図書館を訪問し、のべ4日にわたって複数の写本を閲読する機会を得た。他の課題や校務との兼ね合いで、成果発表のために十分な時間が確保しづらい状況にはあるが、研究はおおむね順調に進展していると代表者は考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
ビザンティン・ヘシカズムの起源と14世紀後半にかけての正教スラヴ世界への発展のプロセスを体系的に解き明かそうとする本研究は、26年度をもって終了となる。ヘシカズムの起源、神学者パラマスの思想と人的ネットワーク、そしてヘシカズムの指南者シナイのグリゴリオスと、相互に関連する三つの構成テーマのうち、26年度に取り組むのはシナイのグリゴリオスに関連する諸問題である。パラマスがコンスタンティノープル、テッサロニキ、アトス山と、当時のビザンツ帝国の霊的センターで活動し、帝国の政治問題にも一定の影響力を及ぼしたとすれば、シナイのグリゴリオスは帝国の政治問題からは意識的に遠ざかるように活動し、最終的にはビザンツではなく、ブルガリア王家への影響力を有するようになった修道士である。グリゴリオスはパラマスと同時期にアトス山に暮らしていたが、ヘシカスト論争の勃発前、アトスへのトルコ人勢力の攻撃を避け、ブルガリアを新たな居住地に定めた。このパラマスとシナイのグリゴリオスのキャリアの相違と、それぞれがビザンティン・ヘシカズムの発展において果たした役割を、それぞれの修道士ネットワークの性質を手掛かりとして解明するのが第一の課題となる。彼らのみならず、彼らとかかわりを有した諸修道士の活動を正確に把握するためには、写本制作の現場と、写本の伝来および保存の実態を踏まえた検討が不可欠であり、26年度も引き続き写本資料を積極的に活用したい。また本研究に関連するギリシャ語キーテクスト(パラマスの『聖なるヘシカストの擁護』、「テッサロニキへの書簡」、「ムスリムとの対話」など)の翻訳および註釈を作成する作業も鋭意継続する。
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Research Products
(2 results)