2012 Fiscal Year Research-status Report
米国援助と台湾の重化学工業化―民営化・自由化・資本市場
Project/Area Number |
24730299
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Research Category |
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
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Research Institution | Osaka Sangyo University |
Principal Investigator |
湊 照宏 大阪産業大学, 経済学部, 准教授 (00582917)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2014-03-31
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Keywords | 台湾電力 / 米国援助 / ECA / MSA |
Research Abstract |
平成24年度は、1951会計年度までのECA援助から1952会計年度からのMSA援助への移行期、および第1期経済建設計画期(1953年~56年)におけるMSA援助を分析対象時期として、台湾電力業への米国援助資金の投入を事例に、援助資金の貸し手と借り手の関係を検討し、以下のことを明らかにした。 1951会計年度における台湾電力業へのECA援助は朝鮮戦争勃発を契機に決定され、その見積もり額と実際額の乖離からして、周到性は低かったといえる。資金の貸し手である米国側が借り手である台湾側に債務償還能力の向上を迫る書簡も見受けられない。しかし、1952会計年度から雰囲気は一変する。1952年8月に台湾電力公司(以下、台電公司)は「五年開発電源曁整理財務方案」を作成してMSA援助を申請するが、その債務償還計画は電気料金の54%値上げを前提に立案されていた。その立案過程においてMSA分署・米国援助運用委員会(以下、米援会)からの台電公司への圧力はあったと思われ、54%値上げ案が立法院で32.2%値上げに下方修正されると、MSA分署・米援会は台電公司に1953年4月に「整理財務修正方案」を作成させる。これにより、1953年度から15年間、台湾政府が台電公司から徴収する所得税と受け取る配当金を全て元利金償還に充当することが定められた。その後も、為替レート変更によるドル建て債務負担の増加が相次いだこともあり、米国側は電気料金値上げによる台電公司の収益改善を台湾側に迫った。1956年末には、台電公司の配当率を6%に固定したうえで電気料金を調整する仕組みが構築された。これにより、1960年代の台電公司のROEは6%以上に安定し、電力業に対する米援資金の償還も確実となった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
「研究の目的」においては、米国援助打切り後も台湾経済が発展し得た要因として資本市場の機能を指摘し、米国援助打切り前に台湾証券取引所が設立された過程を明らかにする計画を記した。 しかし、平成24年度は米国と台湾に出張する時間が無く、米国国立公文書館(NARA)に所蔵される対外援助関係資料の収集・検証作業を進めることができず、上述した過程を明らかにする作業が遅れ気味である。
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Strategy for Future Research Activity |
米国国立公文書館(NARA)に所蔵される対外援助関連資料を収集し、資金供給側の検討を行う。また、台湾の中央研究院近代史研究所档案館や国史館台湾文献館などに存在する米国援助関連資料や公営企業関連資料を収集し、資金需要側の検討を行う。 米国国立公文書館での資料調査の主なる対象は、①対外援助局ファイル(The U.S. Foreign Assistance Agency、Record Group 469)、②米国国務省の各国大使館ファイル(The Department of State、Record Group59)、③連合国軍最高司令官総司令部ファイル(Supreme Commander for the Allied Powers、Record Group 331)などである。①には日本・台湾・韓国に対する援助関連資料が含まれ、②には日本・台湾・韓国の経済状況に関する公文書ならびにスタッフ間の往復書簡や各種経済レポートが含まれている。③には終戦後における極東地域に対する経済援助および経済政策に関する公文書が含まれている。 台湾での資料調査の主なる対象は、中央研究院近代史研究所档案館に所蔵される李国鼎私人档案のなかの「米援借款類」、「経済建設類」、「経済発展類」、「工業発展類」や、経済档案のなかの「日本賠償及帰還物資接収委員会(1946-1952)」、「経済安定委員会(1953-1958)」、「米援会(1952-1954)」などである。また、国史館台湾文献館に所蔵される台湾区生産事業管理委員会档案も米国援助資金を利用した公営企業の資料が豊富に含まれている。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
次年度使用額が発生した主要な原因は、米国と台湾への出張を実施しなかったことにある。よって、平成25年度は米国と台湾で資料を収集し、収集した資料を検証することにより、研究計画の遅れを取り戻す予定である。 具体的には、(1)米国が援助資金を供給すると同時にどのような改革を要求し、(2)それを台湾政府はどのように受け入れ、(3)台湾の各企業はどのように対応したのであろうか、という3点を中心に検討していく。
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Research Products
(1 results)