2014 Fiscal Year Annual Research Report
基礎自治体における地域福祉の歴史的研究―二都市の戦後史の比較を通して―
Project/Area Number |
24730462
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Research Institution | Shimane University |
Principal Investigator |
加川 充浩 島根大学, 法文学部, 准教授 (40379665)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 福祉行政 / 社会福祉主事 / 地方自治体 / 占領下 / 民生委員 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、敗戦後の占領下から昭和30年代初頭にかけて、地方自治体で福祉行政がどのように確立したのかを明らかにすることである。 明らかとなったのは次の3点である。 第一は、戦後に誕生した福祉専門職である社会福祉主事への多大な期待があったことである。地方自治体における社会福祉行政の創設は、1951年施行の社会福祉事業法が原動力であった。社会福祉主事は、1950年に立法化され、社会福祉事業法に先行する形で配置される。特に期待されたのは「専門性」である。当時の福祉三法の実際を担うケースワーカー(ソーシャルワーカー)として多大な期待があったことが当時の資料から看取される。現在、福祉事務所への社会福祉士の配置が進展しないという状況とは対照的である。 第二は、社会福祉主事と民生委員との関係についての日本人の意識である。社会福祉主事の設置のねらいの一つは、民生委員の公的福祉への関与を減じることであった。これはGHQの意図であった。実際、社会福祉主事が福祉事務所に配置された。また、法律上も民生委員は福祉行政推進のための「協力機関」と位置づけられた(それ以前は「補助機関」)。形式上は、民生委員の役割が後退したかにみえた。しかし、1951年までの2年間で予算措置されたのは、社会福祉主事約1万人分であった。翻って、当時の民生委員の数は約12万人である。これでは社会福祉の担い手不足は明らかである。当時の史料をみると、GHQの「戦後改革」の意図とは別に、民生委員が社会福祉行政に関与(協力)することが大々的にうたわれている。GHQ側と日本側の意識の異なりがみられて興味深い。 第三は、初期の社会福祉主事養成カリキュラムが、現在の社会福祉士養成教育の原型となっていることが明らかとなった。時代状況の変化により、科目が追加削除されているのであるが、根幹の科目については大きな変更がないことが明らかとなった。
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