2013 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
24820033
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Research Institution | Kyoto Prefectural University |
Principal Investigator |
阿部 拓児 京都府立大学, 文学部, 准教授 (90631440)
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Project Period (FY) |
2012-08-31 – 2014-03-31
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Keywords | アカイメネス朝ペルシア帝国 / キュプロス島 / ギリシア人 / フェニキア人 |
Research Abstract |
東地中海最大の島キュプロスは青銅器時代からギリシア人・フェニキア人の居住地となっていた。また古典期には、アカイメネス朝ペルシア帝国の領土となり、同時にギリシア本土のアテナイ・スパルタも攻略に興味を示した。本研究はこれら多様な外部からの影響にたいし、ペルシア帝国期キュプロス島の社会・文化がどのような反応を見せたのかを考察するものである。 先行研究者の一部は頌詞という特殊なコンテクストで書かれた同時代の文献史料(イソクラテス『エウアゴラス頌』)を過度に重視し、ペルシア帝国の統治政策による島内ギリシア人とフェニキア人の「民族対立」の先鋭化という構図を提示した。本研究はこのような先行研究を批判的に検討した結果、ペルシア帝国が島内で結びつく都市は場当たり的に決められており、そこにペルシア帝国=フェニキア系都市キティオンという構造的な同盟関係を見出すことは不可能であったと判断した。また碑文史料からは、フェニキア人がギリシア人の文字を採用し碑文を作成したり、フェニキア伝統の神性と同時にギリシア伝来の神々にたいしても奉献活動をおこなうなどの事例を確認し、上述の図式を否定するに至った。 そこで、なぜ同時代の文献史料は島内「民族対立」とも読めるような言説を残したのかという新たな疑問が生じた。これにたいし、キュプロス島内のギリシア系住民はギリシア語を話しながらも、その強いアクセントおよびそれを表記する特殊な文字ゆえに、島外ギリシア人からは「非ギリシア人(バルバロイ)」と見做されていた。このような状況で、前4世紀にギリシア・アルファベットが島内に導入された政策にたいし、彼らは、キュプロス島民が(ようやく)「ギリシア人になった」と評価した。これを先行研究者たちは、フェニキア系住民の影響から脱し「ギリシア人に戻った」と理解していたことに誤りがあったと、本研究は結論した。
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Current Status of Research Progress |
Reason
25年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
25年度が最終年度であるため、記入しない。
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