2013 Fiscal Year Annual Research Report
生理用品の流入による女性の身体観の変容:パプアニューギニアの事例から
Project/Area Number |
24820074
|
Research Institution | National Museum of Ethnology |
Principal Investigator |
新本 万里子 国立民族学博物館, 民族社会研究部, 外来研究員 (60634219)
|
Project Period (FY) |
2012-08-31 – 2014-03-31
|
Keywords | 生理用品 / 身体観 / ジェンダー / パプアニューギニア / アベラム |
Research Abstract |
本研究課題について、資料の精読による歴史人類学的研究と、参与観察による民族誌的研究を行った。人口840人の調査村において、10代から80代までの50人の女性に、月経処置の道具の変遷と処置法に関する調査を行った。研究成果を整理すると以下のようになる。 生理用品を使用する慣行を生み出した近代医療や学校教育などの制度の導入は植民地時代に始まった。1960年代には医師・看護師による妊婦と乳幼児の健診が調査村でも始まり、月経小屋での出産が危険視され、月経処置は不衛生だとされたが、月経小屋を中心とする慣習は簡単には変わらなかった。生理用品が調査村で使用されるようになり月経小屋が数を減らしていくのは、都市部で生活し学校にも通学した経験のある女性の帰村と、生理用品の流通ルートが確保されたことによる。 生理用品の普及以前、女性たちは、土間式の月経小屋のなかで、ヤシ科植物の仏炎苞(羽状の葉で、人間一人が座ることのできるほどの大きさ)を敷き、下半身には何も纏わずに座っていた。仏炎苞は経血を吸収せず、女性たちは座っていなければならなかった。当時は、集落の誰もが月経期間の女性を知ることができ、月経小屋は女性の性を可視化する装置として機能していた。月経処置の道具には、仏炎苞、布、パンツ、ナプキン、タンポンという変遷が認められた。なかでもナプキンの使用によって、女性たちは月経期間でも人前を歩くことができるようになった。月経期間の女性が不可視となり、月経という身体の出来事が女性個人のものとなった。 本研究では、月経に対する忌避観の強い地域における生理用品の受容に関する具体的資料を収集することができた。身体に直接触れるモノの受容から身体観の変容を考え、対象社会の変容を女性の経験に即して描き直すことのできる資料となった。今後は、生理用品の流通とイメージ、月経に関する言説の消費に研究を展開させていきたい。
|
Current Status of Research Progress |
Reason
25年度が最終年度であるため、記入しない。
|
Strategy for Future Research Activity |
25年度が最終年度であるため、記入しない。
|