2013 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
25350792
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Chukyo University |
Principal Investigator |
柿山 哲治 中京大学, スポーツ科学部, 教授 (10255242)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | マリアナ・ヤング女史 / 長崎活水女學校 / 明治期 / オハイオウェスレヤン大学 / アレガニー大学 / スプリングフィールドカレッジ |
Research Abstract |
バスケットボールの日本への移入は、1908(明治41)年、国際YMCAトレーニングスクールを卒業して、東京YMCA体育部主事となった大森兵蔵が、初めて紹介したというのが定説とされている。しかし、バスケットボールの創始者ネイスミスは自伝の中で、「日本では男子より先に女子で始められた」と記述している。また、輿水はる海は、定説以前に女子バスケットボールのわが国への導入として、1.日本人留学生による導入、2.遊戯書による紹介、3.外国人宣教師による導入の3つの過程を言及している。本研究では、定説以前に長崎活水女學校第2代目校長マリアナ・ヤング女史がバスケットボールを紹介したという仮説を検証するために、マリアナ・ヤング女史とバスケットボールの関係を、活水学院資料室に保管されている史料より検討を行った。その結果、1.マリアナ・ヤング女史は、米国でバスケットボールが誕生(1890年)し、女子の統一ルールが発表(1899年)される2年前まで、米国で教鞭を執っていた。2.明治32年には西洋式のユニホームが導入されていた。3.明治35年に公開された慈善音楽体操会の演目に、手球操練(ボールドリル)が見られた。4.明治35年に撮影された、活水女學校の屋外躰操場に、バックボード付の固定式バスケットゴールおよびコートらしきものが確認された。しかしながら、当時の活水女學校でバスケットボールが行われていたという史実を明らかにすることはできなかった。今後、マリアナ・ヤング女史が卒業したオハイオウェスレヤン大学や卒業後に勤務したアレガニー大学に保管されている当時の史料を解明する必要がある。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究計画通り、我が国に残されている史料についての解析が予定通り終了したため。
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Strategy for Future Research Activity |
マリアナ・ヤング女史が卒業したオハイオウェスレヤン大学、卒業後勤務したアレガニー大学における当時の体育やバスケットボールに関する史料および、バスケットボール発祥のスプリングフィールドカレッジに保管されているバスケットボールルールブックのコピーを入手することができたので、今後、これらの史料の解析を行い、定説以前にバスケットボールが行われていた史実を探求する必要がある。
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