2013 Fiscal Year Research-status Report
未完小説の物語上のテーマの行方―プルーストの忘却と第六巻の分析・編集考察
Project/Area Number |
25370378
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
|
Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
徳田 陽彦 早稲田大学, 政治経済学術院, 教授 (40126602)
|
Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
|
Keywords | プルーストの物語構造 / 忘却 / 無意志的記憶 / 話者と作者 / プルーストと絵画 / アルベルチーヌ |
Research Abstract |
第六巻『消え去ったアルベルチーヌ』のなかの「ヴェネチア滞在」の章において、話者のアルベルチーヌにたいする忘却は第三段階と称され、忘却は完成された。忘却が語られる冒頭の「祖母について起こったことと同じことが逆の形で起こった」との叙述はあまり注目されていない。それ自体は「心情の間歇」との関連で捉えるべきであるが、今回はさらに拡げて、多くの研究者が言及する『失われた時』における母=祖母の同一性の是非を検討した。また作品における祖母と母と話者の「私」の関係、同時に作家の人生における母と作家の関係、さらにプルーストの「私」意識を考察した。 作者自身が体験した事柄が多く小説材料として利用されている『失われた時』に比して、プレテクストでは、母と祖母という人物の描き方、登場場面が小説とは異なる点をめぐり、作家の意識的・無意識的意図を探究した。ひとつの要因は、プルーストは母親のユダヤ性を隠蔽し、コンブレーというフランスの田舎町に第一巻を設定するが、本来、慣れ親しんでいたのは、ユダヤ人である母親の大叔父のオートゥユである。小説では母親は「母」と「祖母」に二分され、裕福なパリのユダヤ人家庭ではなく、France profondeの出身者家系として描かれる。物語は「私の過去の人生」と述べたプルーストではあるが、最後まで、己の化身的存在である「私」という話者をほぼ唯一の異性愛者に措定し、「私の」家族からユダヤ性を排除した。多くの登場人物を最終的には同性愛者にし、ブロック等のユダヤ人登場人物を強烈な揶揄・皮肉を込めて描いたということから、二つの自己否定は作品の躍動力に変貌し、作品創造の原動力になったとみなせよう。ただプルーストの「私」はかなり複層的な人物であり、完璧な理解は至難な業である。 以上を『失われた時』、プレテクスト、草稿ノート、書簡集、研究書、評論等を通して論じた。学部の紀要に掲載予定。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
モーリヤック版の「ヴェネチア滞在」の章ではアルベルチーヌにかんする叙述は削除されている。したがって忘却のテーマの第三段階(サン・マルコ洗礼堂訪問、カルパッチオの作品も)存在しない。この都市を散策する話者の記述も多くは削除されている。忘却はヴェネチア以外で忘却は完成しないというのが筆者の立場である。 その証明の一環として、当初の予定では、プルーストと西洋絵画、とりわけ『失われた時を求めて』に表現された作者のルネッサンス絵画認識を考察しまとめようとしたが、あまりにも広範囲な課題であり、いまだ途中にある。 問題は、プルースト書いた作品等々で、イタリア・レネッサンスの絵画にかんするその美術観が物語のなかでいかに表出されているかということ、一般的な認識との乖離がいかなるものか、ということである。また同時にオランダ絵画、フランス絵画、印象派絵画にまで拡げた場合、ルネッサンス絵画の場合とどうのような表出差異があるのか、ということも課題である。 プルーストの美術観を作品の『失われた時』だけではなく、初期の小説、評論、書簡まで渉猟しなければならず、まだ一,二年かかるかもしれない。
|
Strategy for Future Research Activity |
「現在までの達成度」に記したように、プルーストが実人生のなかで訪れたオランダとヴェネチア、(もちろん、フランス、とりわけルーヴル美術館)で見た作品とそれらが作品や他の書物(書簡をふくむ)のなかでどのように展開されるのかが課題である。とりわけ、現行版「ヴェネチア滞在」章を編集上、正当化する美術的視点を確実に提示することも肝要である。ただヴェネチア派の絵画だけを理解するのではなく、ルネッサンスの全体を視野にいれて研究したい。
|