2015 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
25370767
|
Research Institution | Shinshu University |
Principal Investigator |
佐藤 全敏 信州大学, 学術研究院人文科学系, 准教授 (20313182)
|
Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
|
Keywords | 国風文化 / 宇多天皇日記 / 十二単 / 重ね色目 / 蔵人 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は分析結果の総合にむけて、まずは当該期の国家構造の変容について検討した。その結果は「蔵人所の成立と展開―家産官僚制の拡張と日本古代国家の変容―」と題して、2015年度歴史学研究会大会にて報告し、その後、活字化を行った。 その上で、以上の検討と現在並行して進めている個別分析とを総合し、海外文化が流入する中での「国風文化」の形成過程を論じる「国風とは何か」と題した原稿を執筆した(34691字)。これは、鈴木靖民他編『日本古代交流史入門』(勉誠出版、近刊)に掲載していただく予定となっている。そこで論じたのは以下の通りであり、本研究の結論といえるものとなった。 1.10~11世紀の貴族たちが愛好していた中国文化は、同時代のものではなく、すでに滅んでいた唐代の文化であった。たしかに同時代の「唐物」は多量に流入していたが、古い唐代の文化を愛好する彼らは、これを自分たちの文化の中に深く取り込もうとしなかった。これは様々な事例から具体的に証される。そもそも「唐物」の実態は、種類の限られた消費財の類にすぎなかった。彼らはまた、これと並行して、9世紀末以降、倭の世俗のなかにも「文化」を発見するようになり、これも愛好するようになっていく。すなわち国風文化とは、古い唐代文化への回顧と倭文化の発見という二つの柱をもつものであり、それらが並存・融合した性格のものであった。それは昨今の議論に反し、やはり同時代の大陸に背をむけた、ある種閉ざされた環境下において形成・維持されたものであったと結論づけられる。 2.朝廷社会のなかで、唐代の文化と倭の文化は、愛好される場を基本的に異にしていた。唐を規範とする律令国家以来の伝統的な行事や場では唐代文化が、新たに生まれてきた、必ずしも唐を意識しない行事や場では倭の世俗文化が楽しまれた。国家構造の変容と国風文化の形成・拡張は深く結びつき、連動したものであった。
|