2014 Fiscal Year Research-status Report
幕末期長州藩における洋学の受容と実践-対外的危機意識の結集と洋式軍艦の建造-
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25370780
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Research Institution | Fukuoka University of Education |
Principal Investigator |
小川 亜弥子 福岡教育大学, 教育学部, 教授 (70274397)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 幕末洋学史 / 軍事科学史 / 技術社会史 / 明治維新史 |
Outline of Annual Research Achievements |
3年間の研究計画の2年目となる平成26年度は、洋式造船知識の集積、技術の習得過程および技術者招聘の経緯を明確にするため、山口県文書館、萩博物館を中心に史料調査を行った。 これまで、長州藩の洋式造船事業については、末松謙澄『修訂防長回天史』の記述をもとに叙述がなされてきた。しかしながら、同書の引用史料の多くが根拠史料を示していなかったことから、史料上の制約が大きな問題となっていた。本年度の史料調査は、この点を克服するため、平成25年度に引き続き、山口県文書館所蔵の「部寄」(毛利家文庫)427冊を中心に調査を実施したものである。 その結果、本年度の研究課題に関わる史料群として、「江戸大阪長崎御用状」、「異賊防禦御手当沙汰控」、「西洋学御引立一件沙汰控」、「神器陣御改革御増補一件控」、「西洋銃陣御改革一件」、「博習堂諸沙汰一件」、「江戸御状控」の存在が新たに明らかとなった。併せて、これらの史料群については、嘉永6年(1853)から明治4年(1871)までの藩庁作成文書の簿冊を解冊し編年で編綴した際に、「ヌ」印、「う」印、「イ」印、「ウ」印、「糸」印、「示」印、「立」印の符号が付されていたことが判明した。このほか、関連史料として、「御書附控」(毛利家文庫40法令160、46冊)、「江戸表地震一件」(毛利家文庫11政理164、3冊)の存在を確認できた。 なお、本年度の史料調査により、萩博物館所蔵の田中助一コレクション所収史料群が研究課題の遂行に当たり有益であることが新たに確認できた。膨大な量で且つ未整理の状態であることから、次年度も引き続き、調査を進める。 以上のような本年度の史料調査の結果、次の2点、即ち、長崎オランダ直伝習所への技術者派遣に関する経緯、洋式船(君沢型)建造経験者の藩地招聘に関する経緯を解明することができた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
年次計画に従い、順調に調査研究が進展している。 研究2年目となる本年度の進捗については、次の3点の理由により研究計画全体の約60%の達成度と位置付けた。 (1)長州藩の洋式造船事業の実態解明に当たり、その基礎となる史料群の存在をほぼ確定することができたこと。具体的には、①毛利家文庫においては、特殊な残存形態で現存している「部寄」史料群の確認が進んだこと、②田中助一コレクションにおいては、これまで未整理のまま放置されてきたが、調査の結果、本研究課題の遂行に有益なものであることが新たに判明したことなどである。 (2)長崎オランダ直伝習所への技術者派遣に関する経緯を解明できたこと。具体的には、①第1次(安政2~4年)と第2次(同5~6年)の二度にわたり長崎オランダ直伝習所に派遣された直伝習生の動向に関する分析が進んだこと、②併せて、第1次の海軍直伝習生のうち、特に、洋式軍艦建造の技術を習得した藤井勝之進に注目すると、職人(藩の船大工)として家業を担う者が洋学を身に付けた結果、身分的束縛を解かれ、テクノクラートとして立身していく過程が鮮明になったことなどである。 (3)洋式船(君沢型)の建造経験者の藩地招聘に関する経緯を解明できたこと。具体的には、①安政2年11月には、江戸の藩政府の命で、桂小五郎による戸田造船所への視察が実現していたこと、②安政3年2月には、三田尻の小船頭で船大工棟梁の尾崎小右衛門が出府し、スクーナー君沢型の製造方法等について具体的な調査を開始したこと、③小右衛門による情報収集の結果、幕府の若年寄本多忠徳の家臣である船大工棟梁高崎伝蔵と船大工藤吉が適任者であることを突き止めたこと、④伝蔵と藤吉の二人への接触については、難航を極めたものの、小五郎の剣術の師である斎藤弥九郎が本多邸に出入りし、しかも伝蔵と懇意であったことが解決の糸口となったこと、以上のような実態解明が進んだことである。
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Strategy for Future Research Activity |
3年間の研究計画の最終年となる平成27年度の研究目的は、有力諸藩の造船競争が激化するなかで、長州藩が自力で君沢型(洋式)の「丙辰丸」の建造に成功するまでの過程を明らかにするとともに、19世紀転換期における西洋科学技術の導入が在来技術にもたらした影響について見通すことである。 その際、次の3点に焦点化し、そのために必要となる史料の調査、資料・文献の収集を実施する。 (1)恵美須ヶ鼻造船所の建設に関する経緯の解明 : 領内における造船所の候補地がいくつかあげられるなかで、最終的には、萩の小畑浦の恵美須ヶ鼻新湊が選ばれた。この間の経緯とともに、造船所の規模や構造について明らかにする。 (2)船体材料の調達、及び船大工の召集に関する実態の解明 : 船材については、江戸と藩地のそれぞれで調達準備が進められるとともに、造船所での人員確保については、三田尻の御船大工のみならず、各宰判から広く技術者が集められることとなった。この間の経緯を具体的に明らかにする。 (3)洋式軍艦「丙辰丸」(君沢型)の建造過程、及び他藩への技術伝播をめぐる実態解明 :大型洋式船の建造には、幕府への建造申請、絵図面の届け出のほかいくつものハードルがある。こうした一連の諸手続きから安政3年(1856)12月の進水式に至るまでの全過程を具体的に追うとともに、長州藩による“藩単位”の洋式軍艦(スクーナー君沢型)の建造が他藩に及ぼした影響についても明らかにする。
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