2018 Fiscal Year Annual Research Report
Local military groups and social change of China in 19th century; Xiangyong and rebellions
Project/Area Number |
25370837
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Research Institution | International Christian University |
Principal Investigator |
菊池 秀明 国際基督教大学, 教養学部, 教授 (20257588)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 太平天国 / 曽国藩(湘軍) / 地方分権 / 李鴻章(淮軍) / 軍事的自立傾向 / 分裂主義 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は課題の最終年度として、太平天国の全体像に関する評価に重点を置いた。そして太平天国を皇帝の称号を否定し、諸王からなる分権的な統治を構想した「封建王朝」として捉える視点を提起した。この地方による分権的な統治は曽国藩の湘軍、李鴻章の淮軍もめざしていたものであり、その実太平天国とこれらの軍事勢力は中国の次の時代を担うイニシアティブをめぐって激しく対立したが、そこで目指されていた内容は共通点が多いことが確認された。 いっぽう曽国藩と李鴻章については、彼らと清朝権力との関係が大きな焦点となった。曽国藩は漢人勢力の台頭を警戒する清朝政府によって常に警戒され、太平天国後は湘軍を解散して粛清される危険を免れようとしたが、逆に軍事力を背景とする政治力とくに天津教案で外国勢力に対抗できる力量を喪失した。後発の李鴻章はこの点、淮軍を温存し、自らの政治資本とした。だが淮軍は北洋軍として中国の対外戦争を担うことになり、李鴻章自身も中央政府に身を置くことで地方の権限拡大に務めることが出来なかった。 太平天国自身についてみれば、皇帝の称号を否定したものの、洪秀全は救世主としての宗教的権威に固執した。また五人の王の中でシャーマンだった楊秀清は、上帝ヤハウエの代言人となることで政治、軍事的権限を独占し、他の王たちの不満を招いた。その結果天京事変が発生し、上帝のもとでの封建王朝の試みは挫折してしまう。 天京事変後の中央政府の求心力の低下は、地方に基盤をおいた諸王の軍事的自立傾向を生んだ。洪秀全らは権限を中央に集める措置を図ったが成功せず、結果として指揮の混乱を招いて太平天国は滅亡した。さらにこの経験は、「中国は中央集権的な権力によって統治されるべきであり、地方の権限強化をめざすのは分裂主義である」という社会通念を生んだ。その影響は現在の共産党政府にまで及んでいると結論づけた。
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