2014 Fiscal Year Research-status Report
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25370881
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
中井 義明 同志社大学, 文学部, 教授 (70278456)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 古代ギリシア / スパルタ / アテナイ / ケラメイコス / 墓 / 帝国 / 記憶 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成26年度は帝国期スパルタの記憶と記憶の場に関して調査・研究を行った。特にアテナイのケラメイコスにある「ラケダイモン人の墓」に着目して調査・研究した。「ラケダイモン人の墓」はアテナイの城門の直ぐ近く、アカデメイアに通じる街道に面した巨大な石積みの塚型墓であり、中に13体の遺骸が丁寧に埋葬されていたことが報告されている。遺骸には戦闘によって受傷したものもあり、戦死した将兵であることを示している。副葬品には前5世紀末ころのスパルタで制作された土器などが出土しており、付近からは上部にΛとΑの文字を残し、下部に少なくとも戦死した指揮官二人の名前を記載したプレートが出土している。碑文に使用されている文字はアテナイではなく、スパルタのものであり、上部はスパルタの国名ラケダイモンを指し、指揮官の名前はクセノフォンが前403年にペイライエウスで戦死したと記載しているスパルタ人指揮官名と一致している。その意味でこの墓がラケダイモン人の墓であることは疑いなく、遺骸がスパルタ人将兵のものであることは明らかである。 問題はスパルタ人の遺骸をスパルタに持ち帰らずにアテナイの、それも国立墓地に壮大な石造りの墓を構築して埋葬したのかである。アテナイの場合、国外で戦死した自国兵の遺骸は持ち帰られることが通常であった。スパルタの場合はどうだったのかを先ず史料によって調べてみた。次いでアテナイの国立墓地に敵兵の遺骸の埋葬を受容、乃至は承認するということの意味について考察を進めた。同時代人のリュシアスは敗者に対するアテナイ人の温情と評価しているが、クセノフォンはスパルタを勝者と記述しておりリュシアスの評価は妥当性を欠いている。むしろスパルタ王パウサニアスとアテナイ民主派の協力の結果と判断される。パウサニアスはアテナイにスパルタの恩義と力を印象付け、国内の敵対派を説得するのに問題の墓を構築させたものと判断した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
帝国期スパルタの記憶の場として「ラケダイモン人の墓」が考古学資料と文献史料によって詳細に検証するのに最適な事例であることを発見したことが平成26年度の研究の方向を決定づけることとなった。 「ラケダイモン人の墓」が前5世紀末のものであることは疑う余地はない。遺骨とともに発見された槍の穂先や鏃、損傷を受けた遺骨の状態から戦闘による戦死者であると断定し得ること、墓碑の書体と副葬された土器はスパルタ起源であることを濃厚に示している。そしてそのロケーションが同時代人の記述と矛盾しておらず、墓碑に残されている二名の被葬者名は文献史料と完全に整合していることを改めて確認した。 「ラケダイモン人の墓」構築の政治的意味をアテナイ側、スパルタ側双方から推測し得たこと、国立墓地の幹線道路に沿って構築された集合墓の規模と被葬者の出身国と被葬者名を記す長大な墓碑が帝国期スパルタの記憶を人々に強く印象付ける機能を果たしていたと評価し得たこと、そしてスパルタ帝国の記憶が過去のものとなってしまった前4世紀末に埋め立てられてしまいその歴史的役割を終えてしまったと判断し得たことは計画通りであった。土器様式と壺絵からスパルタとの強い関係性を確認し得たことは予想以上であったとも言えよう。 しかしホロス2の「ラケダイモン人の墓」が北に向かってどこまで伸びていたのか、とりわけ近年Arringtonによって提唱されているホロス3の集合墓まで一連の「ラケダイモン人の墓」が連なっていたという説については確証できなかった。この問題はアテナイにおけるスパルタの存在の大きさと影響力の強さと密接に結びついているだけに最終的判断を留保せざるを得なかったことは「当初の計画以上に進展している」と自己評価できなかった理由である。
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Strategy for Future Research Activity |
前395年に勃発したコリントス戦争は前4世紀のアテナイが進む方向を指し示し、強国としてのアテナイの再興をもたらすこととなった。新興勢力であるボイオティアと連携しつつスパルタと対峙したアテナイはピレウス地区に今なお残されているコノンの城壁やケラメイコスに残されているデクシレオスの墓などはコリントス戦争期のアテナイの記憶を伝えているし、第二アテナイ海上同盟の結成を謳うアリストテレスの決議碑文など一連の碑文はアテナイ人が後世の人々に残そうとした記憶の断片そのものである。そしてそれらの記憶はリュシアスやイソクラテス、クセノフォンなど同時代人が書き残した文献史料との交差検証が可能である。それ故、これまで以上に豊富で多角的な史資料を利用できる状況にあると言えよう。 最終年度に当たる本年度は前5世紀のアテナイが持っていた国際的地位を回復し、トラシュブロスらによって再生された民主政を守り、スパルタとの非対称性を追求しながら国際関係における前世紀の二元主義を再構築しようとした前4世紀アテナイの記憶を考古遺物や碑文資料、弁論や歴史などの文献史料によって検証してみたいと考えている。特に同時代人や後世の人々に自己の正当性を訴えようとする一連の決議碑文はアテナイが構築し残そうとした記憶を探るのに最良の資料となる。 以上の研究を本年度中に実施したうえで、これまでの研究成果と対比することで古典期のギリシアが作り出した記憶の分野、媒体、構造、様式、論理を比較検証していくことができる。そしてその一部が歴史化されていく過程を解明していくことも可能となる。そしてそれは今日もなお飽くことなく繰り返されている記憶の形成、加工、視覚化、歴史への接続、最終的には記憶の歴史化を検証する枠組みを提供し得るものと確信している。
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Research Products
(1 results)