2016 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
25380014
|
Research Institution | Hosei University |
Principal Investigator |
川口 由彦 法政大学, 法学部, 教授 (30186077)
|
Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2018-03-31
|
Keywords | 法制史 / 裁判制度史 / 執行官 / 執行吏 / 執達吏 / 勧解吏 |
Outline of Annual Research Achievements |
1886年制定の「裁判所官制」は「執行吏」設置を定めたが、この制度は具体化されなかった。1888年4月19日付の大阪朝日新聞には、司法省で開催された「裁判所長会議」で七人の裁判所長を「調査委員」として「執行吏規則」「執行事務施行規則」「書類送達規則」の三規則の「調査」をすることが検討されているとの記事があり、具体化作業が進展しつつあったことがわかる。 この頃、司法省にあって執行吏法制の作成作業を行っていたのは、当時大審院刑事第二局長だった松岡康毅であった。松岡の日記を見ると、この年と翌年にかけて「執行吏規則」についての意見交換、論議の様子が記されている。ところが、この頃、執行吏を全国の治安裁判所に設置するとして、これを俸給制とするか手数料制とするかという点で意見の相違をみた。これは、裁判所官制が執行吏を判任六等とすると規定したためだった。俸給支払いの財源が見当たらなかったのである。 裁判所官制は執行吏のみでなく「勧解吏」の設置をも規定している。執行吏と同じく、判任六等とし、始審裁判所管下の治安裁判所に設置すると定められた。執行吏は配置されなかったが、勧解吏は法令通り設置された。ただし、その数は1880年までは全国で20名に満たなかった。1888年になると急増し、96名となった。勧解吏は1890年に勧解そのものが廃止となったため、各裁判所から姿を消すが、その時点での官等は、最高位者で判任三等、最低位者で同七等となっていた。この勧解吏の消滅によって100名近くの官員の人件費が他職務担当者に転用できる可能性が生じた。この間、執行吏構想は、「執達吏」制度として具体化されていくが、この過程で執達吏を俸給制でなく手数料制とする方針が確定した。執達吏は全国で300名近く配置される。勧解吏の人件費の流用のみでは財源不足となることが確実であった。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
1890年11月に執達吏制度が発足した時の東京地方裁判所管下各区裁判所所属の執達吏は、16名であった。この年の9月に行われた東京始審裁判所管内執達吏登用試験合格者は11名であったが、制度発足時に執達吏に就任したのは、竹内四郎1名のみで、他の合格者のうち5名は、制度発足から2年後の1892年の春に執達吏となった。つまり、1890年11月から1892年春までの間の1年半は、執達吏16名中15名もの人々が無試験採用だったということになる。1892年春の新規採用は7名おり、このうち4名は試験採用だった。制度発足時における唯一の試験採用である竹内は、1882年より代人、判事補、判事を経験して登用試験を受験し合格したものだった。 制度発足時の無試験採用者15名のうち、訴訟当事者、代人、代言人として訴訟に関わった経験のある者は8名、裁判所書記経験者2名、勧解吏経験者1名(この人物は代言人経験者でもあった)で、こうした経験がなく、執達吏実務に入ったものが5名いた。
|
Strategy for Future Research Activity |
制度発足時の執達吏がどのような経歴を持ちどのように執達吏業務を行ったかを詳細に調べる必要がある。東京地方裁判所管内の16名の執達吏のうち、私立法学校の校友となっている者は現時点で3人確認できる。和仏法律学校(東京法学校)校友の六嘉秀孝、明治法律学校校友の古川亜久里、東京法学院校友の山本政吉である。この3名のうち六嘉は執達吏規則によって認められている法学校卒業生の資格で採用された。古川は1887年から1890年にかけて裁判所書記をしておりそこから執達吏に転じた。山本は熊本の裁判所で訴訟事件の被告となった経験があるが、その後東京法学院で法学教育を受け六嘉と同様私立法学校卒業生として執達吏となった。 これら執達吏たちは制度発足から3年間ほどの間は新聞紙上で厳しい批判の対象となることが多かった。これは、従来裁判執行の専門家がいなかったのに対し執達吏が登場したことによって裁判執行が厳格に行われるようになり差押を受けた債務者からの苦情が各地で頻発したからである。当時の新聞記者たちは執達吏が手数料を少しでも多く取得するため手数料計算の前提となる差押金額を過度に増やそうとしていると考えていたようである。「執達吏の不祥事」「執達吏の横暴」等の新聞記事に対し執達吏自身が「訂正要請」を行っているケースは頻繁にみられる。 このような点について国立公文書館、国会図書館、明治期新聞史料、官員録・職員録等を調査して解明したい。
|
Causes of Carryover |
個別執達吏の経歴や活動、執達吏制度の創設と執達吏に対する社会的評価、個別勧解吏の経歴や活動等の検討のため、国立国会図書館、国立公文書館、日文研民事判決データベース、朝日、読売、東京日日、大阪毎日、横浜毎日、時事新報等の新聞記事の検索収集に力を注いだが、この作業に慣れた学生アルバイトが就職活動等によって時間を充分確保できなかったため、残額が発生した。
|
Expenditure Plan for Carryover Budget |
資料検索アルバイトを雇用し、調査を行う。したがって、2017年度使用目的は変わらず、調査のための人件費を予定している。
|