2015 Fiscal Year Annual Research Report
地域の教育・文化拠点としての近世寺院:宗教施設をめぐる人間形成文化史研究の試み
Project/Area Number |
25381031
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
梶井 一暁 岡山大学, 教育学研究科(研究院), 准教授 (60342094)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | 教育史 / 仏教史 / 寺院 / 近世 / 寺子屋(手習塾) / 私塾 / 宗教者 |
Outline of Annual Research Achievements |
近世寺院が教育と文化の展開に果たした役割を考察するため、僧侶経営の寺子屋(手習塾)につづき、とくに私塾に学ぶ僧侶のあり方について追った。具体的な史料調査は以後も継続するものになるが、次のような寺院や僧侶に着目して分析を進めた。 第一に、光慶寺(岐阜県池田町)は旧美濃国池田郡本郷村の真宗寺院(東本願寺派)である。僧侶は本山の仏教教育研究機関である学寮(京都)で仏教学を学ぶだけでなく、漢学・漢詩に通じる彼らは私塾に学ぶことも多かった。私塾の入門簿をみると、僧侶の名前がしばしば確認される。たとえば、近世最大の漢学・漢詩塾として知られる広瀬淡窓の咸宜園(日田)について、入門簿からやはり僧侶の入門が確認されることが、従来から指摘されている。その具体的な修学活動はこれまでほとんど明らかでないが、入門僧侶の多くは真宗僧侶と思われ、光慶寺の包含と得一は咸宜園に学んだ真宗僧侶の例である。得一は京都と日田に学び、帰国後、自坊に漢学塾を開いてもいる。彼ら僧侶が仏教学の私塾たる学寮を含む近世私塾の学習ネットワークのなかにいることがわかる。 第二に、法蓮坊(豊前国、中津市)と広円寺(豊後国、日田市)の周海も、私塾に学んだ僧侶であった。従来、ほとんど論及されていないが、伊藤仁斎の古義堂の門人にも僧侶はおり、法蓮坊と周海はその例である。法蓮坊が先に入門し、周海は法蓮坊の紹介で入門している。また、法蓮坊は筑前国の神職である吉田靱負が入門する際にも紹介役を果たしている。神職の教育史研究は近年成果が提出されており、これをふまえつつ、神職を含む宗教者の修学過程について、僧侶を媒介とした京都と地方(九州)を結ぶ学習ネットワークの形成と私塾の発達の観点から、調査を進めた。 以上、近世僧侶の修学過程の分析は、私塾研究の進展に資する事例となると考えており、今回の科研をふまえ、以後も調査を継続したい。
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