2014 Fiscal Year Annual Research Report
アイゼンハワー政権期(1953年‐1961年)の「核の傘」をめぐる日米関係
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25590036
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
山田 康博 大阪大学, 国際公共政策研究科, 准教授 (70243277)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 「核の傘」 / 大量報復戦略 / アイゼンハワー / 日米関係 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究課題の目的は、「大量報復戦略」のもとでアメリカは1950年代に日本を「核の傘」に入れたという仮説を前提として、アイゼンハワー政権による日本に対する「核の傘」の提供がいつ、なぜ、どのようにしておこなわれたのかを解明することである。研究期間は2年間であり、2014年度はその最終年度にあたる。 当該年度に一次資料の追加的な調査と収集を、アメリカの首都ワシントン市およびその近郊にあるアメリカ国立公文書館とアメリカ連邦議会図書館で行なった。調査・収集の対象としたのは、主に統合参謀本部関係資料、空軍関係資料(C・ルメイ文書、N・トワイニング文書)および国務省・国防総省関係資料である。それらのほかに、インターネット上で入手できる一次資料も調査・収集した。 初年度に行なった調査から得られた結果と同じく、アメリカが日本に対して「核の傘」を提供したという事実を裏付ける資料の存在を確認できなかった。調査対象とした一次資料の中にあったアメリカ政府が公開を認めていない文書が、本研究課題の核心に迫る資料である可能性がある。そのような資料には、例えば日米安保条約の改定に関わる統合参謀本部議長から国防長官宛の覚書(1959年5月15日付の2通[それぞれ8頁と5頁の分量]や同年6月19日付の覚書[2頁の分量])がある。大統領や国家安全保障会議という高い政策決定レベルで、日本に対する「核の傘」をめぐってアイゼンハワー政権がそもそも政策検討をしていたのかどうかの確認もできなかった。ただし、海外米軍基地へ核兵器をアメリカが配備する場合に(それが「核の傘」であるかどうかは別の問題として)、アメリカがとらなければならない手続きが配備先相手国ごとに異なっていたことは明らかとなった。
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