2013 Fiscal Year Research-status Report
場所と風景から物語られる長期紛争経験についての人類学的研究
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25770306
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Research Category |
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
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Research Institution | Tohoku Gakuin University |
Principal Investigator |
酒井 朋子 東北学院大学, 教養学部, 准教授 (90589748)
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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Keywords | 風景 / 記憶 / 紛争 / 物語 / アイルランド / 分断 |
Research Abstract |
本研究は、戦争・紛争経験の証言のなかで場所や風景が帯びる意味と重要性を明らかにするものである。それをもって、戦争・紛争の記憶に人がしばしばトラウマ的記憶と愛着・ノスタルジーの双方をもつようになる仕組みに迫りたい。とくに注目するのは、政治暴力の経験を言語を用いずに表現する手法である。紛争後社会で広がりつつある絵画的・触覚的な作品制作活動の歴史的文脈と現状を調査しながら、一般市民が多様な表現手法で歴史経験を物語っていく実践の可能性を描き出す。 具体的な事例として見ていくのは、代表者がこれまで研究を行ってきたアイルランドである。また、同じヨーロッパ「周辺」である旧ユーゴスラビアの事例や、歴史や紛争経験を題材にした布製のタペストリー製作がさかんなラテンアメリカの状況も今後は比較検討していく。 本年度は、アイルランド北部の都市部で頻繁に見られる街頭壁画に焦点をあてて研究を行った。アイルランド北部は1960年代後半から30年にわたる民族紛争を経験し、紛争のなかで対立状態にあったイギリス系住民とアイルランド系住民のあいだの分断は和平合意後の現在も深刻な問題でありつづけている。とくに周囲をイギリス系居住区に囲まれたマイノリティの「飛び地」であるアイルランド系居住区ショート・ストランドと隣接地域に焦点をあて、居住区の風景がどのように紛争経験と結びついて描かれるのかを調べた。その結果、ある単独のランドマークが、異なる居住区でまったく異なる意味をもつようになっていることがわかった。長年にわたる住民集団間格差、排斥や差別の歴史のためである。さらには一つのランドマークが、生き生きとしたつながりをもつコミュニティの紐帯と暴力の記憶を同時に象徴するものとして描かれている事例も発見した。こうした両義性は、論理的一貫性や厳密な時系列を追求しない絵画的な媒体だからこそ、表現することのできたものと考えられる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究の計画段階では、具体的な場所として、近年の紛争を直接経験した英領北アイルランドの都市ベルファストと、その国境近くにあるが独立アイルランドのなかに位置する町レタケニーにて調査をおこなう予定だった。 ベルファストでは2013年8月と2014年3月に調査を行っており、予想以上の調査成果を上げた。とくに興味深い考察を促したのは、豪華客船タイタニック号を建造した造船会社ハーランド・ウルフ社の巨大クレーンの絵画モチーフである。近隣地区の壁画でタイタニック号やクレーンを描いたものは、ベルファストがイギリス重工業を牽引する産業都市であった過去と、その労働者階級文化に対する誇りを主題とする。しかしハーランド・ウルフ社の造船工場のすぐ近くに位置しながら造船業における雇用機会を奪われていたアイルランド系住民にとっては、造船所やそのクレーンは、北アイルランド社会が20世紀に長らく抱えた格差と暴力の象徴でもあった。 このような社会背景は、「概要」でも述べたように、ノスタルジーと辛苦の記憶の双方を読み取ることのできるコミュニティ・アートを生み出している。その背景には、数十年の政治争乱のなかで、人びとが寝起きし、働き、隣人・家族らと関係をはぐくむ場所が戦場となっていったことがある。「自分の居場所」として愛着を感じ、安心をもたらすはずの場所やその風景が、他方では頻発する暴力への恐怖や耐えがたい辛苦の記憶とも結びついている現象を、ここに見ることができる。 もう一つの調査地とする予定だったレタケニーについては、時間的制約から十分な調査ができなかった。しかし今後の調査につなげるための人的ネットワークは構築されつつある。また、次年度に調査の中心とする歴史証言タペストリーについて、アイルランドで開催された展覧会開会式に参加し主催者に聞き取りをおこなう機会をえたことは、大きな収穫だったといえる。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究の考察範囲は、現在のところ、あくまで限られている。今後は絵画以外の媒体を用いた戦争・紛争経験の表現にも考察を広げていく必要がある。 2014年度は、紛争経験を表現する裁縫作品の制作活動を調査の中心としたい。研究の足がかりとなるのは、独裁体制下のチリで作られ始め、現在世界各地で製作活動がさかんになりつつある歴史タペストリー(アルピジェラ)で、これは現在国際的な注目を集めつつある。アルピジェラの特徴は、貧苦や夫・子供を亡くす悲しみというきわめて私的な題材を扱いながら、それを同じような風景(社会的空間)のなかに住み、同様の社会的境遇にある人びとの集合経験として描くことにある。また古着や日常品といった日々の生活に直結した素材を用いて製作されている点も、日常的困難の記憶を考える上で興味深い。 2014年度は、アイルランドを含む世界各地でアルピジェラ展覧会を開催してきたチリ出身の研究者と共同で研究を進めていく。5月には、布製の物語(textile narrative)の歴史と可能性をめぐるワークショップがベルファストにて開催される予定であり、代表者も報告者の一人として参加する。その後は、主として二次文献を用いながら、チリの歴史・社会背景についての知識も深めていく。 研究報告の機会としては、5月の国際人類学民族科学連合大会、および7月のヨーロッパ人類学大会(エストニア)において、昨年の成果の報告を行う予定である。また年度末までに出版が予定されている単著のなかでも、本研究の成果が1章相当分を占める予定である。 本研究の完成度をより高めるためには、社会的・政治的暴力とコミュニティ・アートの関わりという大きな問題体系のなかに、今回の研究成果を位置づけていく必要があるだろう。以上は最終年度の取り組みとなる。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
主な理由は、当初予定していたビデオカメラの購入を見送ったこと、ならびに現在執筆中の論文の英文校閲謝金が他所から出費可能になったことである。また、ヨーロッパに二度渡航して調査を行うため、各回30万円以上・計60万円相当の旅費を想定していたが、そのうち一つについては、学会参加費として半額以上を別所から出費可能になった。以上が次年度使用額が生じた理由である。 本年度は、新しい研究地域であるチリの歴史背景・社会状況について研究を進める必要があるため、多くの図書の購入を予定している。5月のベルファストでのワークショップの参加、および繁忙期である夏の2週間の調査と、2回にわたるヨーロッパ方面への渡航を予定しているため、旅費が昨年度より高くなることが見込まれる。 また、前年度に購入を見送ったビデオカメラを入手し、調査のさいに、調査対象となる歴史タペストリーの活動内容や展示会の様子を動画で収録したいと考えている。
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Research Products
(5 results)