2015 Fiscal Year Research-status Report
希少性、秘匿性、新奇性をめざす絵画―北方マニエリスムにおける絵画形態多様化の諸相
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26370132
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
平川 佳世 京都大学, 文学研究科, 准教授 (10340762)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 美術史 / 芸術諸学 / マニエリスム美術 / 北方ヨーロッパ美術 / 珍品室 / 油彩画 / タブロー / 特殊絵画 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、16世紀後半から17世紀にかけて北方ヨーロッパで流行した、石板や金属板、高価な布材に描かれた特殊絵画について包括的な研究を行い、新たな絵画のあり方を模索した北方マニエリスム美術特有の文化現象と位置付けることを目的とする。2年次にあたる平成27年度は、リネン・絹本水彩画について調査研究を行った。 その結果、絹本水彩画の現存作例は極めて少ないことが、改めて確認された。これは、カンヴァスに比べ絹やリネンは脆弱で保存に適さないことに加え、描かれた作品数そのものが実際に少なかったためと推測される。北方ヨーロッパにおける絵画の支持体としての布の使用に関しては、中世以来、カンヴァスに丁寧な地塗りを施さず、テンペラや油絵具を粗く直塗りする「布絵(Tuechlein)」と呼ばれる絵画が存在した。丁寧な地塗りの上から絵具層を幾重にも重ねて完成させる通常の板絵に比べ、制作時間を短縮できる「布絵」は、安価で軽量なことから、タペストリーの代わりに壁に掛けられたり、板絵を覆うカバーとして用いられたりすることもあった。一方、絹やリネンといった薄く高価な布地に透明水彩および不透明水彩絵具で描くリネン・絹本水彩画は、紙や羊皮紙を用いる通常の水彩画に比べ、敢えて高価で脆い素材を用いることにより生じる特別感を狙ったものと考えられる。ドイツの画家デューラーは、友人への贈答品として紙や羊皮紙の水彩画を好んで制作した。デューラーがラファエロに贈呈した《自画像》(現存せず)は最初期のリネン水彩画であるが、これは友人への贈呈品としての水彩画の延長線上に生まれたものといえる。その際、デューラーは、上質なリネンがもつ光の半透過性を利用して「ヴェロニカの聖顔布」を想起させる仕方で自画像を描いてみせたが、この逸話が、芸術的技量の卓越さを奇蹟画になぞらえて披露するという絹本水彩画の一つの在り方の原点となったと推測される。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
「研究実績の概要」でも述べたように、平成27年度は当初の研究実施計画通り、絹本水彩画の北方ヨーロッパにおける誕生の経緯、制作目的、象徴性等について、集中して調査研究を行い、新たな知見を得ることができた。これに加えて、平成26年度前半に、京都大学若手人材海外派遣事業研究者派遣プログラムを利用してドイツのトリーア大学に研究滞在して行った、16世紀後半以降の特殊絵画の隆盛を準備した15世紀の先駆的事例についての調査研究の成果を、英語論文に取りまとめて刊行した。こうした過程で、デューラーなどの創意溢れる画家達が、中世以来の伝統的実践を十分に咀嚼した上で、支持体の物質性を操作して斬新な絵画表現を目指す試みを意欲的に行っており、こうした15世紀から16世紀初頭にかけての先駆的実験が、16世紀後半の特殊絵画興隆の素地となったことが明らかとなった。 一方、本研究が扱う特殊絵画の中でも現存作例が最も多いのが、銅板油彩画である。当初の研究実施計画では、最終年度にあたる平成28年度を銅板油彩画の調査研究に当てる予定であった。しかし、作例数の多さに加えて、安土桃山時代に宣教師やキリシタンによって日本にも伝来していた銅板油彩画については、その重要性を鑑み、平成27年度に前倒しして予備調査を行った。その中で、銅板油彩画の流布については、①トスカーナ大公フランチェスコ1世の宮廷②アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿と教皇ピウス5世の宗教観と美的趣味③北方ヨーロッパで盛んに制作されたキャビネット用はめ込み画の3点が重要な論点であるとの知見を得た。これにより、来年度、研究を一層効率よく進めることができるようになった。 以上、本研究はおおむね順調に進展していると判断される。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究課題の当初の計画では、最終年度にあたる平成28年度には、金属板油彩画について、特に北方ヨーロッパで流行したキャビネット扉へのはめ込みの問題について補足研究を行った上で、過去2年の研究成果と合わせて、「北方マニエリスム美術における絵画形態の多様化」現象について包括的な視点から考察し、独自の北方マニエリスム論を構築する予定である。この計画に大きな変更はないが、「現在までの進捗状況」等で述べたように、金属板油彩画の作例は多く、形態や表現も多岐にわたることから、3年度で研究計画を達成すべく、平成27年度には「リネン・絹本水彩画」に加えて金属板油彩画の予備調査を前倒しして行った。その結果、明らかとなった重要な論点について、平成28年度は集中して効率よく調査を行う。また、本研究の推進には、作品の実見調査および国内外の研究者との意見交換が極めて有益である。そこで、残る1年度でも、できる限り国内外での作品調査を実施するとともに、引き続き、国際学会やシンポジウム等で積極的に研究発表を行えるよう、研究日程を調整する。加えて、研究成果をいち早く公開するため、ホームページのさらなる充実も図る。美術作品の場合、画像のインターネット掲載に関しては社会的合意がいまだ整わず、所蔵機関から高額な使用料を請求される場合もあるため、困難がともなうことも事実である。こうした問題を解決すべくさらなる工夫を行う。また、蓄積された作品情報データベースに関しては、どのような形態に加工すれば汎用性が高いか、情報解析の専門家との意見交換も行う。
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Causes of Carryover |
平成27年度は、配分された直接経費のなかから次年度の使用額が生じた。これは、「研究実績の概要」等で述べた通り、本年度の主たる研究対象であった絹本油彩画の作例が極めて少なかったため、海外の美術館等での現地調査の回数が当初の予想よりも少なくなり、旅費の使用が抑制されたためである。一方、物品については、データ解析用のパソコンやソフトの買い替えを、新型機種を待って平成27年度には敢えて行わず平成28年度に延期した。また、平成27年度後期は、銅板油彩画の調査を前倒しする過程で、これまで蓄積したデータや書籍の分析を集中して行い、新たな書籍の購入を平成28年度初頭に延期した。これらの結果、物品費の使用も当初予定した額よりも少ないものとなった。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
その結果、平成28年度には、当初の年度配分金に前年度未使用額を加えた直接経費が使用可能となった。これを利用して、「今後の推進方策」で記したとおり、国内外の美術館・博物館での作品調査をこれまで以上に積極的に行うとともに、海外のシンポジウム等にも多く参加して研究者との意見交換の機会をできる限り設ける。また、最新の研究動向を把握すべく、関連分野も含めた図書の購入を引き続き行う。膨大な画像データを効率よく分析するため、新型電子機器も補充する予定である。また、英語による著作の刊行を視野に入れつつ、研究成果を英語で取りまとめる際の校正料も必要となる。以上、具体的には、関連図書や画像分析機器の購入にあてる物品費、国内外の調査旅費、謝金等、英文校正料を含むその他の経費を使用する見込みである。
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